熊響 第103回定期演奏会

 書きたい記事はいくつかあれど、諸事情で書けずにいました。しかもちょっとだけ体調も崩したりして。個人的に5月って体調が悪くなることが少なからずあるような気がします。無理している部分があってそれが出てしまうのか。

 時をさかのぼる形で少しずつ記事にします。

 まずは今日の夜行ってきたのが、熊本交響楽団の定期演奏会。もうそろそろだと思い、ホームページを見たのが昨日のこと。指定席でも1,800円という破格の価格で生のオーケストラの演奏が聴けるのは、CD聴くよりはるかに感動が違うと思うのです。実は体調が回復傾向とはいえ万全ではなかったこともあり、直前まで迷いましたが、心の栄養が欲しいと思い、会場まで家族に送ってもらう形で、独り聴きに行きました。

P5140001.jpg

第103回定期演奏会
【公演日】 2017.05.14
【会場】熊本県立劇場コンサートホール
【指揮】松井慶太
【トランペット・ソロ】菊本和昭(NHK交響楽団 首席奏者)
【プログラム】
① 組曲「道化師」(カバレフスキー)
② トランペット協奏曲(アルチュニアン)
③ 交響曲第4番ヘ短調(チャイコフスキー)




 私にとっては馴染みのない曲構成。

 当日券を会場で購入しました。8列目の指定席区画を選択。いざ席に座ってみると、自分の目の高さがちょうど指揮者の譜面台の高さと同じくらいでした。オーケストラを奥まで見渡すことはできない位置。指揮者が入ってきます。背がかなり高い! しかも革靴が金属のように黒光りしています。あれくらいピカピカの革靴いいですね。


① 第2曲 ギャロップ。誰でも聞いたことがある運動会の音楽です。第7曲だったかな、きれいな調べでした。


①´ 指揮者の挨拶。


② この辺りでは生ではめったに聴けませんよ。私は独奏者の吹くトランペットの朝顔(ベル)の正面からちょっとずれた位置に座っていました。奏者の息遣いが聞こえてくるような澄んだ音色。強奏する感じは少なく抑え目か。弱音器を付けた音色との味わい深さの違いも面白い。


②´ アンコール  チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」より‟ナポリの踊り”。


③ 個人的に第5番、第6番はよく知っているんですが、第4番は正直ほとんど聴きません。序奏のメロディーは聞き覚えがある程度。驚いたのは第3楽章。弦楽器5部がみんな弓を床に置いています。指ではじくピチカート奏法で演奏し、お互い掛け合っているのです。それがこの楽章の間中ずっと続きます。スバラシイ。最終楽章は爆奏って言葉があるかどうか知りませんが、まさに爆発的な演奏。フィナーレにふさわしく大いに盛り上がって終わりました。スッキリ。
 でも、指揮者が挨拶の時に言っていた、可能なら熊響のメンバーが最後にしてくれると言っていたのは何だったか。もしかしたら最後に皆が弓を高く掲げたこと?


③´ アンコール チャイコフスキー作曲 「くるみ割り人形」より‟グラン・パ・ド・ドゥ”。
 ハープが演奏会の最初からステージ上に出てるのに気づいていましたが、これまで演奏している様子はまったくありません。いつ使うの? ハープはこの最後のアンコールのために置いてあったのです。
 その清らかな音でアンコール曲は始まりました。するとなんと勝手に涙が出てくるんです。あっ、これこれ!私の中の楽器、心の琴線に触れるってやつです。この演奏会でまだこれが出ていなかったのに気づきました。それがついに出ました! これで心身ともに元気になれるぞ。


 アンコールとメインの曲はすべてチャイコフスキーでした。でも私はアンコールの曲名がからっきし分かりません。バレエ音楽に馴染みがないからだと思います。バレエ音楽からアンコールとして演奏されることが結構多いような気がします。でもいつもわかんない。今後の課題かもしれません(笑)。

 演奏会すべてを楽しんで、個人的に何が良かったかって、最後のアンコールでしょう。でもそこまでに至る本来のプログラムが素晴らしかったからこそ、この感動があるのだと思います。
 アンコールが一番良かったというので思い出すのが、過去記事にもある世界的指揮者ゲルギエフの熊本公演で、ピアニストの大男マツーエフが弾いたアンコール曲「トロイメライ」。そういえばチェスキーナ洋子さんが亡くなって以来、ゲルギエフは熊本に来てくれなくなりましたね。残念。


 元気なった私は、妻の“迎えに行くよ”との親切な申し出を断り、自宅まで7.7キロの夜道を歩いて帰りました。

熊響ありがとう!

 熊本地震による被害で休館していた熊本県立劇場、再開しています。
PB270190.jpg

 熊本交響楽団の第102回定期演奏会が行われたので聴きに行きました。手ごろな価格でクラシックを楽しめる素晴らしい機会です。
 なおその前の第101回定演もチケットを購入していましたが、熊本地震で県劇が使えなくなり、幻の演奏会になりました。


 今回の曲目は次の通り。

● 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(ワーグナー)より、
    第3幕への前奏曲~徒弟達の踊り~マイスタージンガーの行進

● アランフェス協奏曲(ロドリーゴ)

● 交響曲第1番(ウォルトン)

指揮:後藤龍伸    ギター独奏:福田進一



 久々の生のクラシック音楽。心に染みわたりました。演奏中感動でゾクゾクする感覚を味わい、涙が出そうになりました。この感覚は久しぶりに感じるもので、今までいかにこの手の刺激が欠乏していたのかというのが分かりました。ほんと長らく忘れていた、眠っていた感覚を思い出しました。

 劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は第一幕への前奏曲をよく耳にしますが、今回は第三幕への前奏曲から。この部分、実は初めて聴きました。あの有名なフレーズが、途中楽器で受け継がれていたのにやっと気づきました。最後は全楽器による強奏で有名フレーズが登場。生で聴くことにより、より一層体を走るゾクゾク感を味わいました。今回はクラシックコンサートは初めてという先生のお一人と聴きに行ったのですが、似た感覚を味わっていたよう。この曲は高揚感、やるぞという感情を高めるのにいいですね。第一幕への前奏曲、マラソンの前に聴こうかな。

 ランフェス協奏曲も生で聴くのは初めて。最初ギターの音量がオーケストラの音量に負ける感を感じましたが、高速の手さばきと美しく力のあるギターの音色にいつしか引き込まれました。第二楽章では情熱的でありながら哀愁に満ちた有名メロディーに、感動のあまり涙が出そうになりました。これは生で聴けて良かったと実感。これまでCDで聴いていた曲は一体何だったのか。
 ※アンコールでギター独奏がありましたが、曲名は不明。

 ォルトンの交響曲第1番、正直まったく知らず、予習するひまもなしで向き合いました。ティンパニが大活躍し、金管がよく鳴っている曲という印象。楽章の最終部分で短い休止が何度か入るのは新鮮でした。
 作曲家は第四楽章がなかなか作れず、初演は第三楽章までだったと資料で読みました。第ニ楽章までは、現代音楽によくありがちな聴き慣れない和音が出てきて、金管による音量は大きめで華々しいけれど全体的に暗い感じ。その後の穏やかな中にも陰鬱度が増す第三楽章で終わっていたら、私には耐えられなかったでしょう。それとは対照的に、第四楽章は非常に整ったように聴こえる音楽で、これで救われた感じがしました。
 隣に座っていた見知らぬ男性は、第三楽章と第四楽章の前半のあたりで、徐々に真っ直ぐ座っていることも不能に。こちらにもたれ掛かるなよと思いながら、曲を聴いていました。でも、まあ、わかる気もします。
 ティンパニの女性奏者の方が出す、マレット(ばち)が折れるのではないかと思うような迫力ある音が非常に印象的でした。そのほかのドラやシンバル、もう一台のティンパニはいつ出番が来るのだろうかとかなり気になっていましたが、第四楽章で大いに活躍する場があり、安堵しました。
 指揮者も演奏者も、楽章間で流れる汗を拭わねばならないほど、とても力の要る曲だとわかりました。そんなものすごい曲を生で聴けて、オーケストラに感謝です。ただ、他の曲は印象に残るフレーズがあるのに、この曲に関しては皆無。聴き込みが足りないようです。


 ンコールは、チャイコフスキーの「アンダンテカンタービレ」。私はなぜか「えいこーらー」の歌だと思いました(笑)。
 この曲、弦楽器以外はすべてお休み。弦楽四重奏ですから。でも、ウォルトンの交響曲の後なので分かる気がします。
 しっとりと演奏され、前の交響曲から引き継いでいた高温の熱気がこれでかなり冷まされて、やっと心落ち着いて帰ることができると思いました。一服の清涼剤。

 熊響ありがとう! めざめました!

コンサートツアー2016 〜 LOVE 〜

 この美人は誰だ?

P6260007.jpg

 平原綾香


 しかもこれって、コンサートのステージっぽくない?


 そうなんです。彼女のコンサートの中のあるコーナーの間だけ、動画はダメだったんですが、平原綾香さん(ファンはあーやというらしい)ご自身から許可が出て、撮影できたのです。しかもSNSなどで掲載拡散OKとまでご本人に言われて、その通りに私もしてしまっているわけです。こんな一部撮影OKのコンサートは初めてで、スマホなどみなが持っている昨今、宣伝のために逆に利用するのは賢いのではないでしょうか。

 ほんと美人ですわ。

P6260002.jpg


 6月26日(日曜)の福岡市民会館でのコンサートに行ってきました。しかもすぐ上の写真から分かるように、中央に近い前から3列目の特等席のチケット。このあたりはファンクラブ会員専用の席です。実は、福岡在住のとあるファンクラブ会員氏から一緒にどう?とお誘いをいただき、初めて私たち夫婦の分もとってもらったのです。彼女のコンサート、いつかは行ってみたいと思っており、今回初参加となったわけです。

 本当は前日土曜日に熊本でコンサートがある予定でした。でも、地震で会場が使用不能になり中止になったようです。彼女はコンサートのあいだ中何度も熊本地震のことに触れていました。

 聴衆の年齢層は、もちろん若い人もいらっしゃいますが、全体的には結構高めかもしれません。それでも座ってじっと耳を傾けるばかりではなく、立ち上がって踊ったり掛け声をかけたりする歌もあり、福岡はなかなか乗りが良かったようです。彼女のボイスパーカッションを目の前で聴くこともできました。アンコール3曲を含む2時間20分ほどのコンサート全体をとても楽しむことができました。

 事前にファンクラブ会員氏から渡されていた音源を使っての“予習”は不十分でしたが、知っている曲、例えばNHK朝ドラのメインテーマ「おひさま~大切なあなたへ」や、その次の「ダーウィンが来た」で使われている「スマイルスマイル」を生で聞けたのは良かったです。特に「おひさま」は、これコンサートで聞けたらいいねと事前に夫婦で話していた曲で、たくさん曲がある中、どんピシャリで今回出てきました。

 ただ欲を言えば、個人的には彼女の澄んだ美声を堪能したかったのですが、その機会が少なかったかなと思います。今回はバンドスタイルのコンサート。バンドスタイルは歌以外の音が大きくて、コンサート慣れしていない私の耳が慣れるのに時間がかかりました。数メートル前で歌っている彼女の声が、前方からではなく右の方のスピーカーからバンドの音と混ざって大音響で聞こえてきたことに、最初かい離感を感じて、純粋にのめり込めませんでした。会場の音響特性のせいでもあるのでしょうか? そんな気持ちがあったので、知らない曲のときには、ベースやドラムが目の前奥だったこともあり、どちらかというと歌より大きい音に聞こえた彼らの技巧的な演奏に関心が向いてしまい、ドラムやれたらかっこいいなと思ったり・・・。特等席に座っているのに、こんな違った聴き方をしているのは怒られそうですね。

 それでも彼女は時折ステージ上で私の座っている目の前まで来てくれて、何かドキドキ。あのテレビでしか見られない美人で美声の歌手が、間近にすぐ目の前にいるんですから。



 そんななかで、コンサートに来た甲斐があったなと思わせられたのが、感涙ものの二曲。

 一つはあの「優しい時間」というドラマのテーマ曲「明日」。ステージ中央の階段に座って、ギター伴奏で歌う彼女の声とその仕草は情感にあふれ、歌詞にぴったりで、私の心の琴線に大いに触れました。自分にとっての今回の一番。あとでCD版を改めて聞いたのですが、若さを感じてしまい、コンサートの方が人間的にもより深まって歌っていると感じました。

 もうひとつは、アンコールで歌われた「わせねでや」(忘れないでね、という意味)という曲。東北の震災に関連した歌ということも、加藤登紀子さんが歌っているということもまったく知りませんでした。心を揺さぶるピアノ伴奏が曲を盛り上げ、比較的シンプルな旋律でありながら、彼女独特の美声に乗って届く歌詞が、ビンビン心に響いてきました。熊本の震災もあったためか、涙が出そうに。

 やはり多才な彼女の歌声はすばらしい!自分としては彼女の声の魅力がストレートに届く曲構成をもっと望みますが、とても楽しめました。10月にあるアコースティック版もおもしろそう。



 

死ぬときに後悔すること

 身近な親の死などいろんな死に遭遇することが多くなって、最近、生と死に関するいろいろな情報を集めるようになりました。酒を酌み交わす同級生が生死に関わる重い病気になったことや、自分自身も体力の衰えや老化を如実に感じるようになったのもあるかもしれません。

 反面教師のような形でも良い。多くの人々の経験を通して導き出せる人間の本質についてもっと知りたい。その点で、下記の本は非常に興味深いものでした。

「死ぬときに後悔すること25」 大津秀一著

 著者は、1000人を超える末期患者と正面から向き合い、その死を見届けた緩和医療専門医。それぞれの患者が吐露した“やり残したこと”を25に集約してあります。人が何を後悔して死んでいくのかよく理解できます。共感する部分も多々あり。難しい内容はなく、さくさく読めます。

1.健康を大切にしなかったこと
2.たばこを止めなかったこと
3.生前の意思を示さなかったこと
4.治療の意味を見失ってしまったこと
5.自分のやりたいことをやらなかったこと
6.夢をかなえられなかったこと
7.悪事に手を染めたこと
8.感情に振り回された一生を過ごしたこと
9.他人に優しくしなかったこと
10.自分が一番と信じて疑わなかったこと
11.遺産をどうするかを決めなかったこと
12.自分の葬儀を考えなかったこと
13.故郷に帰らなかったこと
14.美味しいものを食べておかなかったこと
15.仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16.行きたい場所に旅行しなかったこと
17.会いたい人に会っておかなかったこと
18.記憶に残る恋愛をしなかったこと
19.結婚をしなかったこと
20.子供を育てなかったこと
21.子供を結婚させなかったこと
22.自分の生きた証を残さなかったこと
23.生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24.神仏の教えを知らなかったこと
25.愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

 人間は自分にいずれ死が訪れることを考えることができない生き物のようです。でもそこを意識するようになると、生き方をより充実させられると思います。 

アルジェリア人質事件に想う

 連日アルジェリアの天然ガス関連施設で起きた人質事件の報道がなされている。亡くなった方の遺体が帰国している映像を見て、また、残された家族の言いようのない深い悲しみと慟哭を見て、私自身も胸が締め付けられるような思いをもち、涙しそうになる。本当につらい。

 特に1年前に親父を亡くしてから、死について、自分の生き方について、以前より深くまた身近に考えるようになった。そのせいか最近そんな話題の本を何冊か読んでいる。


 最近深く心を動かされた本がこれ。

 「エンジェルフライト国際霊柩送還士」。2012年第10回開高健ノンフィクション賞を受賞している。
エンジェルフライト

 この本を通して初めて、海外で亡くなった方の遺体を日本に送還したり、日本で亡くなった外国の方の遺体をその故国に送還したりする仕事があるのを知った。そして読み終わった頃ちょうど、アルジェリアの事件が起こった。

 今回の遺体搬送にも、この本でその仕事が詳細に記されていた「エアハース・インターナショナル株式会社」が関係しているのではないかと思う。また、身元確認に長い時間がかかったことを考えると、遺体には相当損傷があったのではないかと推測される。

 だから、〔ご遺族に〕会わせられるようになんとかするんです。ひどい状態のままだとご家族は、現実を見ようとしなくなります。『これはあの子じゃない、違う人だ』と、そう思う。だから死を受け入れられるように、きちんと対面させてあげたい。お別れをさせてあげたいと思うんです。
(211頁より)



 この本の中では、海外で転落して亡くなった男性が羽田に戻ってきたときのエピソードが紹介されている。妻は現地で本人確認をしている。

 損傷の激しい遺体の修復過程の記述は実に生々しい。しかしその結末では実に不思議な安堵感に包まれる。

 顔の輪郭ができたところで、パスポートを横に置き、鼻の形、目の形、口の形を慎重に直していく。ワックスで均し、そこにファンデーションで色を載せていった。
 時間が逆に戻る。その人が、その人らしさを取り戻して穏やかに微笑んだのを利幸は見た。
<おかえりなさい。奥さんが待っていますよ>
 利幸は新しい棺に遺体を納めると、作業を終了した。

 遺族に遺体を送り届けに行く。柩を家に安置し、利幸は「ご確認ください」と柩の小窓を開けた。それを覗き込んだ途端、妻は「ああ・・・・・・」と叫ぶと、柩に取り付いて泣いた。
「ありがとうございます・・・・・・、あの人です。・・・・・・ありがとう・・・・・・」
 親族に対面させることなどできるはずがないとあきらめていた妻は、夫を親族に対面させた。みな大泣きをしていた。」
 妻は上がりがまちのところで正座をすると、頭を床にこすりつけるようにして何度も何度も礼を言った。
(213頁より)



 そもそも今回のアルジェリアのような悲惨な事件が起きなければいいのである。しかし現実には起きてしまった。まったく無力である。そして、ご遺族の愛する家族を突然に亡くした限りなく深い悲しみは、今の世界では決して癒されることがないであろう。でも、でも、せめて、ご遺体がきれいになって帰ってくることにより、ご遺族が死を受け入れられるようになることを切に願う。

 ふつう人はその両親が愛情を込め苦労して何十年もかけて育ててきたものだ。その命を別の人がいとも簡単に故意に奪ってしまう。親が存命ならどれほど嘆くであろう。最も若い人は29歳、私と同県人だそうだ。また、年老いた母親が先立った中年の息子の名を呼んで嘆き悲しむ。本当に理不尽だ。

ゲルギエフ指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団演奏会(熊本)+マツーエフ

img002.jpg
《熊本日日新聞2012/11/8より》




 2012/11/9(金) 3年ぶりのゲルギエフ-マリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏会に行ってきました。



今回の曲目は次の通り。

●シチェドリン/管弦楽のための協奏曲第1番「お茶目なチェストゥーシュカ」
●ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 Op.18
   デニス・マツーエフ(ピアノ)
●(アンコール) シューマン/トロイメライ
●ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番 ニ短調 Op.47
●(アンコール) チャイコフスキー/「くるみ割り人形」よりアダージョ




当初はピアノ協奏曲第3番が演奏される予定でしたが、熊本会場のみ第2番に変更されました。
その理由について、熊本県立劇場のサイトではこのように記されています。

曲目変更に伴い、ゲルギエフからメッセージをいただきました。

私たちはこの20年間、日本でたくさんの作品を演奏してきました。
チャイコフスキーの全交響曲、ピアノ協奏曲など・・・。
ラフマニノフについてはピアノ協奏曲第3番を異なるピアニストで何度か演奏してきましたが、第2番はあまり演奏することがありませんでした。
先日、モスクワでマツーエフとこの2番を演奏したところ、非常に素晴らしい内容だったので、少し遅いタイミングの決定とはなりましたが、私にとって特別な都市である熊本でこの2番を演奏することに決めました。
とてもロマンティックな作品ですので、是非お楽しみください。
2012.9.27 ワレリー・ゲルギエフ





 ここ田舎の熊本には、一流オーケストラはほとんど来ません。でもゲルギエフだけは来てくれます。その理由は、ゲルギエフの友人でベネチア在住の洋子・永江・チェスキーナさんの出身地が熊本だから、らしいです。今回私が知っている曲目はピアノ協奏曲のみ。クラシック音楽に興味のないうちの妻も“あの‘のだめ’の・・・”で知っています。でも今回は仕事を任せて、独りで聴きに行きました。

 今回の席は8列目左寄り。ちょうど楽団員の譜面台の高さと私の目の高さが同じ。もっと言うならば、ピアノの鍵盤とも同じ高さでした。ピアニストのものすごく速い指使いがそこそこ見える席。でも楽団の奥行きはあまり分からない席。

 最初の「お茶目な・・・」はユニークでした。いろんな音が出てくる出てくる。譜面台上の楽譜を弦楽器の弓でたたいて音を出したり・・・。興味深い惹きつけられる曲でした。いやあ楽し。

 ピアノ協奏曲は3番をよく知らないので、2番で良かったと思いました。最初のピアノの弱音から次第に強音になっていくところですでにゾクゾク感を感じ、甘美なメロディーに自然と涙が出てくることがありました。個人的にはオケの音が大きすぎるとピアノの音が聞こえ難いのが少し残念。

 ショスタコの交響曲は今まで手を伸ばしたことがありません。5番も初めて聴くので、事前にCD(インバル指揮)を聴いて勉強。その時の再生装置が悪かったのか、というより公演間近になって最安のCDを入手し、時間がなくてジョギングしながら聴いていたので、耳になじみのあるようなないようなメロディーが時折聴こえるものの、うるさい印象でした。
 でも、・・・実演は・・・CDと全然違う。もちろん迫力があって感動的、最終楽章が終わる時には大いに盛り上がりました。その素晴らしい演奏に、結構な数の聴衆がスタンディングオベーションで賛辞をおくっていました。私?日本人ですね。立ち上がった際の迷惑を気にしてできませんでした。次回からは素直に表現しよう。


 ≪このコンサートで特に印象に残ったもの≫

 ピアニストのマツーエフは大男ですね。でも強面ではなく愛嬌のある大男でした。ゲルギエフも大きいと思いますが、彼よりも少しばかり高さも幅も大きい。マツーエフがピアノの前に座ると、ピアノがおもちゃのように小さく見えるのです。
 そのマツーエフがピアノ協奏曲の演奏後、アンコール演奏をしたのですよ。それが「トロイメライ」。私はこれに非常に感動したわけです。
 大男がピアノに向かって腰かけ、そしてやや左に体を傾けて、弱音でゆっくりかみしめるように演奏するトロイメライ。ホールの静寂の中に鍵盤から紡ぎだされる繊細なメロディー。一音一音聞き漏らすまいと最大限に耳を澄ませました。その場の空気から、他の聴衆も同じ気持ちだったかもしれません。その音の心地よさ。心を揺さぶる音。絶妙な音と音の間(ま)。よくありがちなフライング拍手は皆無。最後のゆっくりと消えゆく音の愛おしさを味わい、最後まで聴き尽くした感じがします。しばしの静寂ののちの拍手。感涙ものでした。特にピアノ協奏曲の熱演のあとでのこの曲、この演奏会での俺的№1かも。

 そしてもう一つ良かったのが、交響曲の第3楽章。消えるか消えないかのような弦の音の下支えのなかで、他の楽器が歌っていくその美しさ。音の響きの心地よさを味わいました。CDでは気づきもせず、ついに味わえなかったものです。

 いずれもガンガン鳴り響く音ではなく、弱音の美しさ。それに魅かれている自分を発見できて意外でした。年齢的な要素もあるのかも。



 今回のコンサートは満席でした。そのなかでも高校生、しかも今年からほんとの意味での男女共学になった県立第一高校の女生徒が多く聴きに来ていました。しかもホールでは後方ですがS席に座っています。
 コンサートが終わってホールを出たところで電話をしていると、その女子高校生の中の一人と目が合いました。それはなんとうちの卒業生でした。今は高校三年生、ずいぶん大人っぽくなっていました。近況を尋ねると、県外の大学を目指して受験勉強中とのこと。
 どうしてこのコンサートに来たのか尋ねてみると、高校内で募集があって応募したとのこと。250席準備されていて、友達と申し込んだら当たったそうです。
 なぜその第一高校だけ? どうやらチェスキーナ洋子さんの計らいらしいです。(洋子さんご自身も演奏会当日会場にいらっしゃっており、母校である第一高校も事前に訪問なさったとのこと)。しかもS席なのに無償だったそうです。だから、お金を払って聴きに来ている他の聴衆の迷惑にならないようにして、マナーをよく守って聴いてこいと先生から言われたようでした。

 “で、先生はなんでここにいるの?”

 思いがけない再会のあったコンサートでした。



 追記) あっそうそう、ゲルギエフの指揮棒は爪楊枝のように見えましたけど。

ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団演奏会(熊本)

091122.jpg

 ゲルギエフの2009年日本公演が始まりました。ここ熊本にはたぶんこれまで3度来ています。こんな九州の一田舎都市に、世界的に有名な指揮者と楽団が来てくれることは嬉しいのですが、なんで熊本に?とも思います。
 (※その後の調査で知ったのは、ゲルギエフや他の優れた音楽を支援している熊本出身のチェスキーナ洋子さんというベネチアの富豪夫人がいらっしゃって、その方の援助で今回の演奏ができているし、全国でも熊本だけの特別プログラムを聞くことができる、らしい。感謝です。他所はもっと値段が高く、熊本だけ安い。また有名どころの曲ばかり並びかなり濃厚な内容です)。
 また、「ホールそのものが楽器である」と言われ、その音響は世界で最高の評価を受ける熊本県立劇場コンサートホールが、ゲルギエフのお気に入りのひとつでもあるらしいというのは聞いた話。実際ビニール袋が擦れる音さえ耳障りな大きな音として聞こえます(演奏中、ガサガサ触るのはやめようね、おばちゃん!)。日本公演はここ熊本を皮切りに12公演あるようです。



 今回のプログラム
●チャイコフスキー 序曲「1812年」
●ムソルグスキー(ラヴェル編曲) 組曲「展覧会の絵」
●チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」

 有名なオケがほとんど来ない土地柄、専ら聴くのはCDのみ。そのCDさえも最近は忙しくてゆっくり聴く時間がないのが実情です。一素人の勝手な印象を書きます。

 まず私が座った席、6列目、正面に第一バイオリン群の前から4番目の奏者が位置するあたり。ゲルギエフや楽団員をかなり間近に見られる席でした。欲を言えばもう何列か後ろが良かったかな。ステージ上の最前列の楽団員の脇腹辺りの高さにちょうど目の高さが来て、木管や金管がほとんど見えませんでした。ゲルギエフは何年も前に見たときより太った?

 楽器群の配列も面白かったです。両翼にバイオリンを配置し、コントラバスが第一バイオリン側にありました。でも音の出る場所が違って、掛け合いみたいになって良かったです。



 CDの整った音もいいのですが、久しぶり聴く生の音はCDより柔らかい、という印象を受けました。さすが世界有数のオケ、乱れないアンサンブルと迫力。もしかしたら初日だし地方公演だから手抜きしているかも、と思わないこともありませんが、とても満足しました。そして特に今回感じたのは、無音の瞬間がとても心地いいこと。オケを聴きに行って無音とはなんぞやとおしかりを受けそうですが、曲が途切れる瞬間の間(ま)のうまみ、次に音が「湧き上がる」際の強弱の違いを感覚的に楽しみました。また、全楽器が鳴り響いているのも気持ちが高揚していいのですが、弱音の美しさに耳が心地よさを感じていました。

 ●序曲「1812年」。素人耳で音が混ざって不明瞭だった印象がしたんですが、実演はこんなものなのでしょうか。また、おとなしい感じがしたのは私だけ?しかし、最後のクライマックスは迫力。大砲はさすがに使えないでしょうが、とてもとても高揚しました。ゲルギエフはスコアを頻繁にめくりながら指揮をしていました。また楽団員も音楽が始まれば真剣に演奏していましたが、私から見えたバイオリンの方々は曲の前後でよくおしゃべりしているし、ちょっと緊張感が欠けている・・・と感じなくもなかったですが。

 ●「展覧会の絵」。良かったです。今回の曲目の中で自分としてはもしかしたら一番良かったかも。強弱のメリハリやCDでは分からない音の掛け合いが楽しめました。ラヴェルのオーケストレーションの妙味が詰まっているといいますが、少しだけ分かったような気分。「展覧会の絵」は自分自身が好きな曲です。ピアノ版ではアファナシエフの止まりそうな怪演が好きですし、オケ版ではなんといっても今は亡きチェリビダッケの「展覧会の絵」(EMI)では背筋がぞくぞくする感覚を初めて味わいました。CD嫌いの彼のCDをたくさん持っているのは皮肉なもんです。ゲルギエフはスコアを見ていないように思いました。譜面台にはスコアはあったのですが、たぶん序曲「1812年」のもの。

 ●「悲愴」、これも名曲です。この曲には思い出があります。大学の教養科目「音楽史」で、ソナタ形式について問うテスト問題に、この曲の何楽章かを例として引き合いに出して解答しました。講義ではこの曲については全く触れられていなかったので、音楽史の授業を熱心に受講しさらに自分でその科目を深めて学んだ学生を演じたわけで、もちろん「優」をもらいました。残念ながらその時の内容はすっかり忘れてしまいました。ソナタ形式ってなんだっけ?
 さて今回の演奏は第1楽章の後に少し長い間(ま)があったのみで、第2楽章から第4楽章までごく一瞬の間を挟んで一気に演奏されました。普通こんなふうに演奏するんでしょうか。第3楽章が激しく終わるため、知らない人がそこで拍手しないか心配する必要もなくていいのかなとも思います。第1から第3までは自分の感覚ではそんなに熱がこもった感じもせず、少し急ぎ足で進んでいった印象、しかし、第4楽章は渾身だったかも。最終部分でドラが鳴ってからすべての楽器の音が次第に消えていく様には心動かされました。無音に近くなってもしばらくそのままの状態が続き、早めの拍手やブラボーが始まらなかったのも良かったです。でももっと長く静寂があっても良かったかなとも。
 ゲルギエフの譜面台の上には何もなし。暗譜してるんですね。スゴイ。一番激しく動きました。指揮棒が空気を切り裂くと、音が「湧き出して」くるのが間近で見れて良かったです。



 すべての曲目が終わって、お決まりの花束贈呈がありますが、今回はゲルギエフに一人の女性が渡し、もう一人がコンマスに渡しました。コンマスは“えっ?僕に?指揮者にでしょ?”って表情と仕草で示しているのに、結局渡してしまいました。その後彼は楽団全体に向けて花束を掲げ(あっ!楽団に渡すために準備したんだ、と悟る自分)、最後はコンマスの次の次の後ろの席にいたロシア人おばちゃん然とした女性に花束が渡って、彼女が抱えて退場しました。花束の意味は悟ったものの、何か変な花束贈呈に感じた自分が変?

 今回15時15分開場、16時開演の予定でしたが、15時半にホールに行ったのに、ホールの外で待たされました。なんでもリハが延びているとか。そのため開演も10分ほど遅れたでしょうか。18時に終了予定だったのですが、実際には18時20分終了。終演予定時間がとうに過ぎている関係かはたまた移動のためかアンコールが何もなかった。残念。ゲルギエフは明日は大阪だそうです。移動が大変ですね。熊本に来てくれてありがとう。

 楽団員の方で印象に残った人。自分が視覚的に見て印象的だった人は、1812年と展覧会の絵でシンバルを鳴らしていた頭の禿げたおじさん。背が高くはないのに大きなシンバルを鳴らす顔がきりっとしてとても真剣でした。ティンパニのお兄さんも気合の入った華麗なばちさばきで感心しました。それにしてもあのたくさんの数のばち、一体何本あったんでしょう、頻繁に変える必要があるんですね。悲愴の第4楽章の強打、感動しました。そして金管群の中に、トロンボーンとチューバ(ユーフォニウム?)を吹いていた黒人の男性がいらっしゃり、とても新鮮に思えました。彼は曲が終わってゲルギエフに立ち上がるよう促されていました。

 それにしてもやはり生はいいですね。こんなのがもっと身近に来ればいいのですが滅多にないので、こういうときは大都市が羨ましいです。そんな中でゲルギエフだけは熊本に来てくれる・・・・しかも、熊本ゆかりの方の援助のおかげで、このレベルのオケとしては破格の値段で聴けるというのは感謝です。もっと緊張感があったらいいけど。ゲルギエフに限らず個人的にはブルックナーの交響曲(できれば8番)を生で聴きたいのですが、大都市に行かない限り無理な話なんでしょうね。