シエナ・カンポ広場での思い出

 私にとってイタリアといえばシエナっていうくらい好きな街です。2回この街を訪れました。2回目のときには完全な個人旅行、この街だけに4泊もしてしまいました。普通はフィレンツェから半日観光くらいで立ち寄るだけの街なのにです。
 この街で親しくなったイタリア人も何人かおり、そのうちのある夫婦とはかなり親しくなりました。彼らは現在ドイツに引っ越しており、ドイツを訪れるよう誘ってくれています。でもなかなか訪れる機会がありません。ドイツもいいでしょうが、やはり性に合うのはイタリア。

 シエナといえば、世界一美しい広場といわれるカンポ広場があります。なぜ美しいかに関する考察があったので載せてみます。http://www010.upp.so-net.ne.jp/architurismo/architurismo/citta/siena1.htm

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 この広場の周囲のオープンカフェで食事をしていると、赤いベレー帽を被った大道芸人がやってきて、抱腹絶倒のパフォーマンスを見せてくれました。通りがかりの観光客相手にちょっとしたいたずらをして驚かせ、カフェでくつろいでいる人たちはその反応を見て楽しむというもの。

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≪刷毛で後ろからくすぐる≫

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≪霧吹きの天気雨≫

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≪団体客を誤誘導する偽のツアーガイド≫

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≪メニュー見ながらの歯磨き≫

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≪文句があるならイエローカード≫

 残念ながら写真はないのですが、犬を散歩させている飼い主の上着に、気づかれないように散歩用のリードを付け、道化の男性が飼い主を散歩させ、飼い主が犬を散歩させている図を作りだしたのには、腹をかかえて笑いました。この手口に引っかかった日本人の方がいるようです。その経験談。 http://www.geocities.jp/mascheron/04/04.html

 次から次へと繰り出されるいたずら。不思議といたずらされた人たちで怒り出す人はいませんでした。ユーモアを解するのか衆人環視による恥ずかしさで早くその場を立ち去りたいと思うからか。今の時代、日本でならどうでしょう。危なくないでしょうか。

 これらはすべて2004年のものですが、この男性、今でもお元気でシエナで活動していらしゃるといいのですが。もしこの方のパフォーマンスを見ることがあれば、最後にチップをお忘れなく。

 あ~、シエナまた行きたい。

パラオ旅行記 with カワイイ・バアチャンたち -その4- スペシャルロックアイランドツアー午後編

※ スペシャルロックアイランドツアー午前中編はこちら




 「ジェリーフィッシュレイク」を出たときにはすでに正午を過ぎていました。


 ランチタイム御用達アイランド「オモカン島」に上陸しました。私たちが到着した時にはすでに数隻の船が来て、あちこちで中国語が飛び交っています。ここは向かいの島まで砂浜が伸びる「ロング・ビーチ」で有名な場所です。この日はちょうど満月の日でロングビーチがはっきりと現れる時期で、しかも天気が良く、お昼ごろに潮が引く時間帯でした。図らずも、ベストタイミングを見計らったかのような日だったのです。

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 五人分のベントーです。弁当はパラオ語で“ベントー”。日本がパラオを統治していた時代の名残で、日本語からパラオ語に取り入れられたことばのひとつです。滞在中耳にしたのはほかにも“ダイジョーブ”、“チチバンド”などなど。なお、パラオ人のスタッフの間では“チャラオ”も使われていました(笑)。
 それにしても南の島で日本的な風呂敷を見るとは。でもデザインはパラオ風ですね。
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 弁当の容器は重箱のような材質で、少し豪華に見えます。
 では、中身は? あとで知ったのですが、この日の弁当はパラオでも人気弁当店らしい「アイランド焼肉」のチキン弁当でした。ちなみに翌日のツアーは同じ店のソボロ弁当。
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 この島には一応ベンチ、テーブル、さらにトイレも設置してあります。しかし、すでに大勢の台湾人観光客がテーブルを使用していたので、私たちは木陰に場所を見つけました。母たちが同船の一人旅のお姉さん(ご両親が熊本県大津町在住)と親しくなったので、一緒に食事をしました。ありがとうございました。




 食事の後は周辺を散策。



 巨大な根っこによじ登ってみたり、
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 家族で記念撮影したり。
 “コボちゃん”のおススメでジャンプして記念撮影。年配者も少しだけ浮いていたり、腕だけだったり。
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 弟と一緒に。今回彼が同行してくれたおかげで、“添乗員”業務はずいぶん楽になりました。
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 年配者の“添乗員”をしていなかったら、たぶんロング・ビーチをずっと先まで歩いて行っていただろうな。いつか再びここに来ると誓いました。
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 "カメがいる!”とのスタッフの声で駆け寄ってみると、
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 確かにいました、ウミガメが。どこからか何かの実を持って来て目の部分にはめ込みんでみたり、尻尾の下に置いて、卵を産んでる、と言ってみたり。
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 そんなこんなで2時前に船に戻りました。潮が満ちてきており、年配者も腰まで海水に浸かって船へ。

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 この時、船の上から“サメっ”と声が上がりました。その方向に目をやると、そんなに大きくないものの岸辺近くで泳ぐ生き物を発見。しかも水面から背びれが出ている・・・。




 シュノーケリングに向かいます。年配者は海に入るでしょうか?
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 船が向かったのは「ゲロン島」。この島は私有地なので上陸はできないのですが、周辺の海、特に今日は「ゲロン・インサイド」と呼ばれる地点でのシュノーケリングでした。

 二名の年配者はシュノーケリングにも参加しました。年配者たちは、ライフジャケットをつけて海に入ると、浮き板につかまり、どんどん船から離れて曳航されました。義母は湖でシュノーケルに慣れたようで問題なし。私の母は相変わらず恐ろしがっていたのですが、それでも今度は水中眼鏡だけを身に着け、海の中を少しずつ見ることができるようになりました。
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 今回はライフジャケットをきちんと装着しています。午前中のミルキーウェイでは、股下を通して正しく装着していなかったので、ライフジャケットだけが浮こうとして、うまくバランスを取れなかったようです。股下までひもを通してきちんと身に着けましょう。


 パラオ人スタッフが気を利かせてくました。素潜りで海底からピンク色の丸いサンゴを持って来て、“バアチャン”たちの目に前に置いてくれたのです。それを見た途端、私の母は“うわぁ、きれーかぁ”と感嘆の声を上げました。するとそれまでと様子が変わりました。それはまるで、泣いていた子どもが、目の前に出されたおもちゃに気を紛らわされて、泣きやむような光景でした。※確かに気が紛れたと、後日母親は言っておりました。義母もそのピンクのサンゴに感激。二人の年配者を惹きつけて放さなかったピンクのサンゴ。


 一方、他の人には海底からナマコを持って来て、水鉄砲のようにして水をかけます。
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 “ジェロ”が水底でドーナツ状に息を吐きます。どこかの水族館でスナメリが作る輪のように。
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 ちょっと息が足りなかったようで“ヘター”と言われていました。
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 美しい青い枝サンゴ。
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 ふたりのおばあちゃんたちはサンゴを持って帰ることを希望しました。しかし、それはここでは許されていません。それで、写真だけ撮って帰ろうね、と言ってTG-1を被写体に向けると、なんとなんとなんと、痛恨の電池切れ・・・・。




 帰りの船は猛スピードでまっすぐに帰港しました。この日一番長い乗船でした。

 帰りの船の中では、多くの人がお疲れのようで、うとうととしています。子どもたちにいたっては、船の後ろの方で、エンジンのものすごい音にも動ぜず熟睡しています。そういえば“ジェロ”もいない。“ジェロ”も? 二人の年配者も居眠り。風で帽子が飛ばされないように、帽子の上からタオルなどで頬かむりしたすごい姿で居眠り。義母にいたっては、船が港に入るまで大きな口を開けて“舟を漕いでいた”ので、きれいなお姉さま方に“おばあちゃん、かわいいっ”と言われていました。キミたちもあと四、五十年もするとこうなるのだよ。
 それはともかく、おばあちゃんたちは誰にでも親しく話しかけるので、船上ではかわいがられていました。


 帰りの船の中から、遠くにきれいな虹が見えました。心地よい疲れの中、満足感を抱いて眺めました。


 若向きのスペシャルロックアイランドツアー、八十の年配者でも楽しめました。家族の配慮、何にもましてツアースタッフ・ガイドの細やかな心遣いがあったからこそ可能でした。九十で参加したつわものもいらっしゃるそうです。

 特に“コボちゃん”、まだお若いようなのに、小さな子供から年配者まで気を配ってくださりありがとう。おばあちゃんたちは感謝しています。




パラオ旅行記-その1-
パラオ旅行記-その2-
パラオ旅行記-その3-

パラオ旅行記-その5-
 

パラオ旅行記 with カワイイ・バアチャンたち -その3- スペシャルロックアイランドツアー午前中編

 現在パラオは雨季。雨季自体は6月から10月まで続きます。なお、パラオの天気はネットで調べても雨とか雷とかの表示が日替わりで出ています。現地の方の話では、パラオのどこかで雨が降っているから、ほとんど雨表示になっているし、もともとパラオには天気予報はないとまで言い切っておられました。出発前、天気予報を見て非常に心配していたのですが、あまり気にする必要はないようです。
 ただちょうど私たちが来るまで、熱帯低気圧が居座ってぐずついた天気が続いていたようです。そう、のちに台風と名を変える熱帯低気圧はこのパラオの近海で発生します。それがいなくなってこれから回復に向かうだろうとのことでした。
 また、熱帯に属していますが、心地よい風が吹きますしそれほど暑くありません。むしろ熊本の梅雨の方が蒸し暑く体に堪えます。熊本は温帯の中の熱帯の飛び地だとつくづく思いました。ただ紫外線はかなり強く、ものの本によると日本の6~8倍だそうで、日焼け止め対策は必須です。日本で準備していくなら、日焼け止めも水に簡単に流れないウォータープルーフタイプで、値段が高めでも効果がきちんと出るものを購入した方が良いようです。なお日焼け止めは現地でも簡単に購入できます。


 さて、パラオに到着した翌日、「スペシャルロックアイランドツアー」に参加しました。

 指定された午前9:00に、集合場所のパラオ・ロイヤルリゾート・ホテルのブルーマリーンに行きました。そこではジェリーフィッシュレイクに入るための許可証を一人100ドルで購入しなければなりません。入らなければ50ドルの許可証でOK。今年の6月に35ドルから一挙にその値段に上がったそうです。支払いは現金かTC(トラベラーズチェック)のみ。クレカでは支払できません。


 今日は船が2隻出るそうで、私たちは2隻目のグループに入っていました。同乗者は新婚さん、とても美しいお姉さまたち、子ども連れの家族、そして私たち年配者を二人含む家族。年配者たちは水着を下に着て、不安の気持ちを抱きながら参加しています。
 若者ばかりかと思いきや年齢構成が多様で少し安心しました。それでも八十近い年配者は異色かもしれません。ただ、同乗者の皆さんも年配者たちにとても優しく振る舞ってくださいました。


 案内してれるのは、日本人のガイドの通称“コボちゃん”(千葉県出身)、それにパラオ人の通称“ATSUSHI”(EXCILEの)と“ジェロ”(演歌歌手の)と運転手。

 ご覧のような強力なエンジンを2つ搭載するボートに乗って出発します。風を受けながら高速で疾走します。見る見る港が遠ざかっていき、大きな波しぶきを上げながら船は最初の目的地「ミルキーウェイ」に向かいます。
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 「ミルキーウェイ」に到着。海の色が全然違います。
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 すでに他の船も多く到着しており、ふさわしい場所を探して停船すると、まずパラオ人が海に飛び込み、海底に積もった白い泥をバケツに入れて船に乗せてくれます。さあ、ここで服を脱ぎ、水着だけになって、この美白効果を持った泥を体に塗ったくります。ただし目に入らないように注意。
 母はもうここで不安を口に出します(というか自分が経験したことのないものをすべてとても恐ろしがります)。ですが、妻が、これは化粧品にも使ってあるものだと言って安心させようとします。少しずつ泥を塗ってやって、ここでの“儀式”開始。私も楽しくなってしまって、顔や頭をふくめ全身を泥パック。好奇心旺盛な義母はノリノリ。

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 でもこの後、もっとたいへんな次の段階が・・・。今度は海に入ってこの泥を落とさなければなりません。しかも二人の年配者は金づちなのです。でも海に入るしか・・・。

 ここで“コボちゃん”が、ライフジャケットを着けていれば溺れる心配がないこと、浮き板につかまらせてもらえ、沈まないよういつも見守っていることを説明し、実際上手に助けてくれました。
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 母は足のつかない水の中でとても恐ろしがりました。それを大丈夫大丈夫と言ってなだめながら、海水で泥を落とします。“コボちゃん”は母の頭に水を優しくかけて泥を落としてくれます。母はきっとめちゃくちゃ緊張したことでしょう。それでも船に上がった時にカメラを向けると、促されてVサインを出すほど。まずは成功。

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 お姉さま方にも、“おばあちゃんたち、もう顔がツルツル”、と言われていました。かわいがってもらってます。

 海から上がった母が繰り返したことば “あん【あの】こまか【小さな】子たちは泳ぎの上手なあ。感心すっ。”


 ※防水カメラTG-1をフロートつきで購入した主な理由は、カメの撮影に専ら使うためではなく、この旅行のために使うためでした。





 次は「ジェリーフィッシュレイク」へ。ジェリーフィッシュとはクラゲのこと。

 ここは船着場から斜面をまず登り、次は塩湖まで下って行かなければなりません。15分ほど歩く必要があります。母はこのクラゲを見る湖には行かず、船の中で待っているという選択をしました。しかし義母は行くとのこと。

 義母は自分で履物を準備していたのですが、“コボちゃん”は、よりこちらのほうがいいだろうということで、義母のためにビーチサンダルを貸してくれました。レンタル用だと私たちは思いました。

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 桟橋から少し上がった所に詰所があり、そこで許可証を実際に見せなければなりません。ひとりひとり有効期限などを入念にチェックされます。また水入れが置いてあり、足を浸して付着している泥などを落とさなければなりません。ミルキーウェイの泥が付いていると入れてくれないそうです。

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 斜面は結構急です。でも行きの登りは階段が整備されていました。

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 行きの下りです。ちょうど階段工事の真っ最中でした。たぶん近いうちに完成することでしょう。

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 八十近い義母はこの山歩きもゆっくりですが難なくこなしました。


 緑に囲まれた湖側のエントリー。ここではライフジャケットを必ず着用しなければなりません。
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 エントリーの付近はこの時分日陰になっており、この周辺にクラゲは全くいませんでした。なぜならこのクラゲは体の中に光合成をする藻類を住まわせており、それが作り出した栄養分をもらっているため、太陽の光を求めて回遊するからです。ですからクラゲのいる場所まで泳いで行かなければなりません。

 義母がしがみついた浮き板をけん引する“ATSUSHI”。
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 湖の中央付近でついにクラゲの大群と遭遇。これは実に感動ものです。片手では余るほどの大きなものから、小指大の小さなものまでいます。海にすむ同じタコクラゲは猛毒を持っているそうですが、ここのタコクラゲは毒性がほとんどないも同然。
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 私たちのグループの、あれほど上手に泳いでいた男の子がひとり、クラゲを見るなり急に怖がり出して、別の浮き板の上にあがってしまい、もはや水中におりたがらなくなりました。“コボちゃん”はその男の子にも優しく接し、義母にも気を配りながら、案内していきます。

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 義母も湖の中ほどでは、浮き板につかまらないでも立っていられるようになりました。ほらっと言って両手を離してみせてくれます。
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 いつまでもタコクラゲを見ていたいほど癒されます。しかし、やがて帰る時間がやってきます。

 エントリーには次のグループがやって来ており、かなり混雑していました。その人たちと入れ替わるように、押し出されるようにして、私たちは水から上がっていきました。この湖の中での進み方にも一定のルールがあるようです。彼らの話す言葉は中国語。そう台湾からの観光客がとても多いのです。

 義母はこの湖をとても楽しむことができました。そしてとても気に入ったようです。


 ところで、義母がビーチサンダルを借りていたことは覚えているでしょうか。そのサンダルはレンタル用だとばかり思っていましたが、実は違いました。帰りの山道で気づいたのですが、義母に付き添ってくれていた“コボちゃん”はなんと裸足。ごつごつした岩や石のある道をなんと裸足。実はあのサンダルは私物だったのです。

 “足つぼマッサージみたいでちょうどいいですよ”と笑顔でジョークを交えて答える彼。このツアー中、“大丈夫ですよ、大丈夫”という彼の口癖みたいな言葉と深い気遣いに年配者たちはどんなに安心できたか。




 山道があるということでちょっと心配になるジェリーフィッシュレイクですが、普通に歩くことのできる年配者なら、たとえ金づちでも十分楽しめます。




 ここまでで午前中が終了。午後のエピソードは次に続きます。




パラオ旅行記-その1-
パラオ旅行記-その2-

パラオ旅行記-その4-

パラオ旅行記 with カワイイ・バアチャンたち -その2-

 さすがにグアムまでの4時間、乗り継ぎ2時間、パラオまでの2時間は堪えたようです。福岡空港まで行くのに各駅停車の高速バスでかかった2時間も加えると、相当乗り物に乗っていることになります。

 私たち夫婦にとって当たり前のことでも、海外旅行初参加の私の母は飛行機の中で長時間すごさなければならなかったことが特に堪えたらしく、もう決して海外旅行には行かない!と旅行早々言い出す始末。行程を事前に説明していたはずなんですけどね。それに機内のトイレを流す時に出るバキューム音にものすごくびっくりしたらしく、恐ろしかあ、と。

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 おまけにグアムでは一旦入国審査を受けてから、乗り継がなければならないのです。あの忌まわしいテロ以来、グアム空港は厳しい管理下にありました。グアムはアメリカだったんだ。すっかりこの厳しさを忘れていました。おまけに到着便が重なって、入国審査のところまで何重にも列ができています。私たちは年配者のスピードに合わせるべく、ゆっくり飛行機を出てきたのですが、これが完全にあだになりました。

 入国審査のところでは携帯電話やカメラを使うのは厳禁。だから画像はまったくありません。遅々として列が進みません。時間もかなり経ち、私たちも立ちっぱなし、そしてだんだん列が短くなってからやっとその理由が分かりました。一人一人厳重にチェックされ、右手四本指、右手親指、左手四本指、左手親指の順に指紋が、そしておまけに顔写真が電子的に記録されています。この列の進まなさが、私の母の神経を高ぶらせます。

 入国審査では家族単位で係官のところに近づきます。係官は少しは笑顔を見せたらよいと思うのに、まったくの無愛想。こちらから話しかけたくても無駄口をたたくなといったオーラを出しています。私たち夫婦はしっかりと個人のデータを記録されました。

 80歳の母の番になり、私たちのしたことの見よう見まねで機械に指を乗せようとしています。しかし、係官は行けの合図。同じく義母も指紋を取られなかったとのこと。予期して機械にガシッと手を乗せた義母に、係官は手を振りながら“オバアチャンハ、イイヨ”と日本語で言ったそうです。これはお年寄りの特権ですな。まあ年寄りの日本人女性テロリストはいないか。この記録をとるとらないの判断の基準を知りたいものです。

 入国を済ませるとすぐに、トランジット(乗り継ぎ)受付へ。日本語を話す現地人の係官がいて、すでに私たちの名前の書かれているリストに、蛍光ペンで線を入れていきます。別の扉へ案内され、出国前の検査へと向かいます。なんとここではベルトを外し、靴まで脱いでX線検査。人間は、金属探知のゲートをくぐり、さらに服を着ていても丸裸に透視できる装置の間に入って両手を頭の上で組むポーズをとらなければなりませんでした。装置の前にどう見えるのかの説明板がありましたが、その写真をみると何と性器の形まで見えます。これがあのうわさの装置。評判悪いだろうなと思いながらも、仕方なく装置の中に入ります。

 ここでは母が引っかかりました。ニコリともしない女性係官に調べられる母。緊張した表情を浮かべる母。英語なんて分からないし話せないから、ネイティヴ熊本弁で通す母。係官は母の下着の下にあった物体を取りだし、これはなんだというような怪訝そうな顔でそれを見て、検査に回しました。
 その物体は何だったのか?「お守り」でした。金属が含まれていたんでしょうね。

 久しぶりのアメリカ絡みの旅行だったため知らなかったのですが、グアムは以前よりも検査がかなり複雑かつ厳重になっていました。

 先が思いやられる。


 福岡11:40発 UA166便 ⇒ グアム16:30着(時差が1時間あるため日本時間では15:30)
 グアム19:00発 UA157便 (日本時間では18:00) ⇒ コロール(パラオ)20:10着(日本時間と同じ)



パラオ旅行記-その1-

パラオ旅行記-その3-

パラオ旅行記 with カワイイ・バアチャンたち -その1-

 7月初めからこんなとこに行ってました。
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 パラオ共和国


 今回は、私の80歳になる母親を、生きているうちに初海外へ連れて行きたいと思っていたのと、妻の母親のさまざまな労をねぎらうのもあって行ってきました。八十歳といっても、そんじょそこらの普通の八十歳よりもはるかに足腰がピンシャンしている、元気なオバアチャンです。この二人の年配者を引き連れて、私はいわば添乗員役です。ならば近場にすればいいのに、わざわざ福岡空港からグアム乗り継ぎで8時間もかかるパラオ。直行便のある東京が羨ましい。

 だって、グアムは日本人だらけで行く気ないし、サイパンはすでに数度行ったことがあるし、韓国、中国、台湾などのアジア諸国は最初っからアウトオブ眼中。そしてできるだけ時差が少なくて(パラオは日本と同じ時間)、自分たちも初めて行く場所、ということでパラオに決めたのです。

 今回はほぼすべての食事のついたプラン。私たち夫婦だけなら行き当たりばったりで適当に食事するのですが、さすがに今回はそうもいかないだろうと考えたためです。

 しかもオプショナルツアーも最初から組み込んであります。それも年寄りがいるのに、どうみてもまだ体力のある年代の人向けの、いわば体を動かすスポーツ系のものばかり。果たして年配者は耐えられるのか。少々不安はありながらも、決めたんだし、行くしかない。

 今回は年配者の視点を含めた旅行記を書いてみます。




 なお、旅行会社はR&Cツアーズにお願いしました。




パラオ旅行記-その2-

サン・ジミニャーノ

 「世界ふれあい街歩き」(NHK)という番組がある。街をゆったりと歩いて街の人との会話を楽しめるものなのだが、かなり好きな番組のひとつ。最近、イタリアのトスカーナ州の「サン・ジミニャーノ」が、BShiで放送された。
 数ヶ月前に地デジに変わったばかりのうちにはBSがない。余分に費用を払って見るほどテレビに重きを置いていないからだ。価値観の問題で、今後もつける気は全くない。しかし、今回ばかりは少し残念に思った。サン・ジミニャーノだけでなくイタリアについての集中放送がBShiであるからだ。今回、誰かに録画をお願いする手もあったがついに言い出す機会がなく、いつかあるであろう地上波の再放送を待つしかないと思っていた。しかし、再放送をひょんなことで見ることができた。それを見て2004年に実際に訪れたトスカーナ州サン・ジミニャーノ旅行を改めて思い出し、またイタリアに行きたいねと言い始めていた心の火がまた大きくなってきた。

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 奥の方に、番組の中にも出てきた街への入り口が見える。私たちもここまでバスで来て、街の中へ入った。完全な個人旅行だったので一日のうち好きなだけ散策できた。煉瓦造りの綺麗な街並みが続く。周辺にはトスカーナの丘陵地帯が広がる。移住したいくらい美しい場所だ。ヘルマンリクガメもいそうなのだが、かなり数が減っているのかイタリア人でさえめったにお目にかかれない。

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 街の中心部にある塔のうちの一本。

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 ある塔には実際に上ることができた。下に見える広場は街の中心部。番組でもこの場所で鐘が鳴り響いている場面が放送された。その場面の撮影裏話も非常に興味深かった。

 それにしてもイタリア人って面白い。番組で放送された部分はいいとこ取りなのだろうが、イタリア人のおじいちゃんおばあちゃんたちの明るくウィットに富んだ会話は魅力的だった。朝から夕方まで犬の散歩をしているおじさんは番組の中で3回もクルーに声をかけていたが、それが番組全体に統一感を与えていた。


 ≪サン・ジミニャーノとは?≫ (以下NHKの番組サイトから転載)
イタリア中部のトスカーナ地方、標高324mの丘の上にある街、サン・ジミニャーノ。城壁に囲まれた旧市街は南北に1kmほどの長さで、そこにわずか900人が暮らすと言われています。街には多くの塔が林立し「美しき塔の街」「中世の摩天楼」と呼ばれています。
古くは染料として珍重されたサフランの取り引きで栄えました。9~12世紀にかけて、当時、ヨーロッパで最も重要な街道の1つであったピサーナ街道とフランチジェーナ街道の合流地点にあったことから街は大いに発展。12世紀には自由都市となり、その後、塔が建ち並び始めました。貴族たちが富と権力を誇示するためのシンボルとして建設したのです。
そんなサン・ジミニャーノの街も、14世紀に流行したペストの影響などで発展は終わりを告げます。最盛期には72本あった塔も、その多くが取り壊されてしまいました。今では、そのうち14本が残り、街の歴史を伝えています。
中世さながらの雰囲気を残す旧市街は、1990年、世界遺産に登録されました。