熊本城マラソン2015 ランナー受付開始

 熊本城マラソン2015、いよいよ明日になりました。天気予報は晴れになりました。朝方は寒いものの、日中は14度の予想。かなり暑くなりそうです。
天気214


 さて、昨日からランナー受付が始まりました。
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 入った最初のところで、ナンバーカード引換証と写真付きの身分証明書を調べられます。
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 ナンバーカード引換所。今回私は8,000番台。
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 スタート前の寒さ対策として、今年はポンチョを着ようかと思います。
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 数が限られているので配布時間が決まっていました。20分近く配布所そばで待ってゲット。

 道を渡ってお隣のEXPO会場へ。
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 再開発のため2月末で閉店する県民百貨店が奥に。惜しまれて無くなります。
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 ここで参加記念Tシャツをもらいます。
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 昨年もあった目標タイムと共に記念撮影。ここでも企業名入りのポンチョが無料でもらえます。
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 目標タイムは設定するも、実は具合が悪いところがあって、途中でひどくなったら完走さえも危ぶまれるかも。

 会場をあとにして食事へ。今日でダイエット終了。エビタワー丼+貝汁!
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 ウニオムライス。
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 もちろん独りで二人分食べたわけではありません。

 並んで手に入れたポンチョはこれです。保育園児作ということですが、その子のお姉ちゃんとかが手伝っていそうなくらい絵がうまい。
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 いい年したおじさんが、最初これを着て走ります。



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熊本城マラソン2015 激闘記 -その1ー

 熊本城マラソン2015、その日は晴れ渡っていました。寒さは厳しく、最低気温−0.4℃だったようです。

 昨年寝過ごしてしまい慌てて会場入りしたことを教訓とし、今回はスタート4時間前の朝5時に起床。おにぎり二個、もちやパンなどを食べ、ストレッチを行い、さらには家を出る直前にカステラなど食べて、ゆったりと過ごすことができました。現地で長く待つ必要がないように、会場入りも8時過ぎの遅めに計画。おかげでスタートブロックに入るまでに、無駄にぶらぶら過ごすことがありませんでした。それともう一つ、事前の水分の摂取に細心の注意を払いました。必要最低限の量だったため、おかげでスタートを待っている時も、レース序盤でも、トイレに行きたいと思うことがありませんでした。


大会当日スケジュール。

7:00 更衣所 開場
7:20 スタートエリア入場開始・手荷物預け開始
8:15 更衣所閉鎖
8:30 手荷物預け終了
8:40 スタートエリア閉鎖
9:00 スタート(30キロ)
9:02 スタート(フルマラソン)

16:00 フルマラソン終了


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 スタートブロック内では、このポンチョを身につけて、そのときを待ちました。気温は3℃程度だと思われますが、昨年ほど寒さに震えることもありませんでした。ポンチョ、なかなか優秀です。

 今回は昨年の反省を踏まえ、服装も改善しました。

 防寒はポンチョで行い、ウィンドブレーカーは着ない。昨年フィニッシュまでウィンドブレーカーを着ることになり、軽量薄手でしたが、かなり暑かったため。

 また、吸汗速乾性のウェアを2枚着ること。1枚は肌の上に直接着て、汗をかいても肌をドライに保つもの、もう1枚は、今年から改善した、その上にまとう吸汗速乾の専用ウェア。いずれも長袖でなく半袖。走るとすぐ暑くなるためです。そして暑さ寒さの微調整はアームウォーマーで。


 いよいよスタート時刻の9:02が近づいてきました。直前にポンチョを脱ぎ、折りたたんでウェストポーチにしまい込みました。捨てるのが忍びなかったからです。家族も持って帰るように言ってましたし。

 そして、いよいよスタート!

 Cブロックにいましたが、スタートラインを通過したのは今年も約4分後でした。今回の目標は、昨年のタイムの更新、しかも4時間台、それもできるだけ短い時間で走ることでしたので、道中の写真を撮るのは止めました。一連の記事の写真は家族が撮ったものです。


 ここまでは昨年以上に物事がスムーズに進みました。


 そう、ここまでは。


 この後に激闘が待っているとは予想できませんでした。


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熊本城マラソン2015 激闘記 -その2ー

《家族が撮っていた写真から。仮装ばかりでした。でも今年は仮装ランナーが少なく、しかもおとなしくなっていたような。規定が厳しくなったからでしょうか。仮装を没収された方もいたらしいです》
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 数日前のランナー受付の記事で、こう書きました。

「目標タイムは設定するも、実は具合が悪いところがあって、途中でひどくなったら完走さえも危ぶまれるかも。」

 体の具合が悪いところ、それは股関節周辺の筋肉の不具合です。昨年も悩まされたところなのですが、今年は月間200キロを達成したあたり、シューズで迷ったあたりから、違和感を感じ始めたのです。それ以降、整骨院に通って、治療・調整をしていました。

 その箇所が、スタート直後の直線、まだ1キロも走っていないのに、痛み始めたのです。それでも体が温まればどうにかなるだろうという考えがありました。

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 スタート直後の団子状態の中を、最初の1キロは7分で、その後の3キロまではキロ6分10秒ほどで走りました。

 違和感を感じながらもキロ6分台前半を維持していた中、それは突然訪れました。スタートしてからまだ5キロほどしか走っていません。いきなり右股関節周辺の臀部に、これまでのランニングで経験したことのない激痛が走りました。筋肉がつったとかそういう痛みではありません。このとき、抱えていた爆弾がさく裂したと思いました。

 思わず痛みで足が止まりました。今回の戦略として、体力温存のため登り坂はすべて歩く、と決めていました。でもそれ以外で早くも歩くことになったのです。そして、泣きたくなりました。痛みで泣きたくなったわけではありません。何カ月も前から練習してきて、そのスタート地点に立てたというのに、しかもまだたったの5キロほどしか走っていないのに、この有様。残り35キロ以上、走りきることができるわけがない。無念のリタイア、途中棄権の悪夢が現実になっていく様子を想像して、ほんと悲しくなりました。家族に電話をし、現状と途中棄権をしなければならないかもしれない旨を説明。電話口の家族の声の調子から、その落胆の様子が感じ取れます。

 それでも家族が待ち受けている地点までは行こうと思い、痛む箇所を押さえてゆっくり走ったり、時々は歩いたりしながら、なんとか進みます。



 何とか家族のいるところまでは歩いたり走ったりして到達しました。
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 この後、かかりつけの整骨院のスタッフが、12,3キロ地点で、患者さんと出走スタッフをサポートしていると聞いていたので、何とかなるかもしれないと思い、そこを目標に進むことにしました。ゆっくりながらも必死に走り、必死でスタッフの顔を探します。そして田んぼの中のコース沿道で、ついにその顔を発見しました。

 事情を話すと、N先生は、まずお手製のスペシャル栄養ドリンクを飲むよう勧めてくださいました。そして歩道上に簡易マットを敷き始めます。おお、衆人環視の中、田んぼの中の歩道上で施術か。私をそこに寝かせストレッチ。そして周りに人がいるのに、お尻のところのタイツを下げて、痛む箇所にロキソニン軟膏をたっぷりとすり込んでくださいました。

 その間も傍らを多くのランナーが通過していきます。そしてその中に見たくなかった光景が。

 風船が、5時間のペースセッターの上に浮かぶ風船が、無情にも私の横を通過していく・・・。バイバイ・・・。

 体が壊れているのに、思いの中では、まだこのレースの目標を諦めてはいなかったんでしょうね。
 

 しばらくしたら薬が効き始める、20キロ過ぎでまた待っているとの言葉を受け、私は送り出されました。

 するとロキソニン、効くんですね。その後キロ6分30秒前後で走れているんです。中間地点を2時間30分強で通過しました。あとで調べて分かったんですが、これは昨年の記録より数分速かった。

 そして22キロ地点あたりで、再びN先生と再会しました。今度は立ったままで、再び薬を塗ってもらいました。ランナーが通過する中、歩道上で、お尻のところのタイツを少し下げて薬を塗ってもらいます。先生曰く“ほかの人から見たら、変なことをしているように見えるかもしれませんねえ”。

 応急処置の甲斐あって、なんとか25キロまで走ることができました。しかし、そのあとはもう走ると一歩ごとに強い痛みが出るようになりました。もうこれ以上走ることができないと思いました。残り17,8キロ、どうするか。


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熊本城マラソン2015 激闘記 -最終章- へ続く
 

熊本城マラソン2015 激闘記 -最終章ー

 25キロ過ぎでとうとう走るのにも限界が近づいてきた感じでした。走りの一歩一歩で痛みがズキンズキンと襲ってきます。幸い、歩く分には衝撃が少なくて、まだいけると感じました。ここまできてリタイアはできません。歩けるところまで歩くしかありません。まだ6時間のペースセッターにも追いつかれていませんし、制限時間の7時間内でならたぶんフィニッシュできるでしょう。ここは思考を変え、もうひたすら歩くことにしました。しかしできる限り早歩きする!


 25キロ過ぎから31キロくらいまで、単調な折り返しの直線コースが続きます。ケガをして歩いていると、沿道からの声援が励みになることもありますが、同時にプレッシャーにもなるのです。何か走り出さなければならないような気にさせられます。それで私の場合、自然と道路の中央線寄り、声援から離れた場所を歩くことになりました。知り合いもいるかもしれないしね。歩いてもやはり痛みますが、走るよりは随分マシ。我慢できます。


 ひたすら直線を歩く、歩く。そうしていると折り返し地点の手前で、5時間のペースセッターとすれ違いました。なんかこの光景、見覚えがある。そうだ、去年の熊本城マラソンでも同じようなパターンだった。


 一直線のどん詰まり・折り返し地点の周辺は道幅が狭くなり、声援がより大きくなります。それでも走らずに、ひたすら歩く、歩く。途中、昨年利用したトイレの場所を通過。そう言えば今年はレース中一度もトイレに行っていません(※結局コース上では一度もトイレを利用しませんでした)。折り返し地点を回って随分歩いたところで、対向車線に6時間のペースセッターが見えてきました。自分は歩き、あちらは走り。そんな状態でも、ペースセッターに追いつかれたくないとまだ考えている私。25~30キロのラップタイムは45分台でした。キロ9分前後、時速にすると、えーっと時速6.7km。


 このあとの5キロごとのラップタイムは次の通り。

 30~35キロ 44分台
 35~40キロ 43分台

 だんだん早くなっていました。痛みに少し慣れたのもあるでしょうが、面白くなってきたのです。何がでしょう?


 歩いているからこそ見えてくる光景があるのです。先ほど私を追い越して行った人が、あとで再び私を追い越してゆく・・・。そんなうそのようなことが何度も何度もありました。つまり、歩いている私が途中でその人をいつの間にか追い越しているのです。考えるに、30キロ過ぎのこの区間、ランナーは走って私を追い越して行ったとしても走りが長続きせず、どこかで歩いてしまう。そこを早歩きの私がいつの間にか追い越してしまう。そしてその人がまた走り始めて私を追い越す・・・・、この繰り返し。この時間帯にこの区間を走っている人の場合、走るのも早歩きも大して変わらないというのが見えてきました。また、早歩きをしている限り、走っている人との距離はそんなに開かないのです。それほどランナーは疲れているのです。そんな様子を観察していると、痛みはあるものの、自然と早歩きのスピードもあがるものです。“歩き”が“走り”を追い越したれ!そんな気持ちになってくるのです。


 そういえば、早歩きといえば、2年前八代スリーデーマーチ40キロウォーキングで、早歩きの達人と競い合い、やむなく走りという姑息な方法で勝った(笑)ことがあります。途中それを思い出しました。ウォーキング大会の経験が今生かされているのか。あ~ぁ、今となればあの達人に感謝!


 フィニッシュが近づくにつれ、ますますランナーは疲れています。へとへとになってよろよろと走っているランナーの脇を、早歩きで追い越す意地の悪い“喜び”。しばらく前に私を抜いていったランナーに歩いて追いつき、追い越します。40キロに近づくにつれ、6時間のペースセッターにもう追いつかれないと確信し、フィニッシュ時刻を大胆にも予測するほどになりました。


 腕を大きく振って、肩で風を切るかのようにガンガン歩きます。そして、ついにあと1キロの看板が見えてきました。ここはあの魔の急坂。昨年はへとへとになって歩いて登りました。でも今年は去年よりはるかに元気です。とぼとぼと歩いている人をどんどん抜きます。そして、坂を登り切った所で、それまで溜めていた力を解放し、フィニッシュまで走ることにしました。痛いよ、けれどあと数百メートル、何とか持ってほしい。


 どんどんランナーを抜き去ります。痛快!そして最後のお城の中に入る急坂。駆け上がりましたが、途中痛みで失速し、一時的に歩きに。なにくそ!

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 そして角を曲がれば、最後の一直線


 再び力を込めて走る!



 すると先ほど抜いたはずのコスプレーヤーが、真横に来ているのが視界に入りました。


 ギアチェンジ!


 ぶっちぎりの加速!(と本人は思う)


 横にいたコスプレーヤーは視界から消え去りました。


 と、同時に腰の痛みがピークになり、完全に壊れていきました・・・


 フィニッシュゲート通過。


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 激闘が終わりました。序盤のリタイアの危機を乗り越えて、何とかフィニッシュまでたどり着きました。


 記録はネットタイムで5時間30分を切りました(30分切り、ちょっと狙いました)。あんなに苦しんだのに、昨年から15分ほどしか遅れていない意外なタイムでした。あの危機的な状況で、よくやったと褒めてやりたいです。でも、序盤からスリルのあるこんな経験は二度としたくありません。


 でもフィニッシュゲート手前の行動、バカでした。大人げないのは分かっていますが、そうせざるを得ませんでした。あとで家族に叱られました。古くからの友人には、あんたらしい、と言われました。


 途中でサポートしてくださったN先生にはひたすら感謝です。先生がいなかったら、もっと苦しんでいたでしょうし、完走できたかどうかさえも分かりません。せっかく1万円払って参加したのに、それが1万円の高いバス代(棄権ランナーを収容するバス)にならなくて良かった。


 来年? きっと申し込むでしょうね。なんとかフィニッシュしましたが、不完全燃焼です。だから、今年は昨年よりも達成感が少ないんでしょう。ただ、アクシデントはありましたが、確実に体力・走力はついてきているとも思いました。一度でいいから4時間台を出したいという気持ちは今も強くあります。でも、もう自分の年を考えると、タイムばかりにしがみつくのもなんですので、ゆくゆくは楽しく健康的に走りたいとも思います。仮装の道ってのもあるのかも。(@_@;) 
 

 

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▼ 翌年の熊本城マラソン2016は残念ながら落選しました。代わりにといっては何ですが、同日開催の「北九州マラソン」には当選しました。
そこでサブ5を目指します。 ⇒ 「北九州マラソン2016 完走記 前編


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