成長のはやさ

 一週間ほど前、とある店の駐車場にいたところ、不意に“先生!”との声がかかりました。

 そこに立っていたのは、私より背の高いスリムな若者。その顔を見た瞬間、昔の記憶が蘇って、おう!〇〇とその名前がすぐに出てきました。しかし、5年前、野球部にいたとはいえ、背が今よりずっと低くて、どちらかと言えば丸っこい顔と体型。ガチャピンに似ていたよな。

 ちょうど母親の運転する車に乗っていたようで、車窓から私に気づき、慌てて母親に車を停めるようにと言ったようです。お母様とも久しぶりにお話ししました。S黌に合格していきましたが、今は岡山大学で学んでいるとのこと。ちょうど新幹線で帰省してきたばかりだったとのこと。かつてブログで記事にもした↓この製作者です。

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 こうやってその成長ぶりを目にするのは大きな喜びです。今年高校を卒業して宮崎大に行くということで、挨拶に来た子、農業高校に進学し、そこでとれた野菜やコメをよく持ってきてくれてた子(彼は農業大学校に進学しました)、その成長は早いですね。目を見張るものがあります。

 それと共に、自分も年をとるのが早くなったと感じます。

 中3で卒業して、あっという間に高校を卒業し、あっという間に成人し、その後所帯を持って、子どもが生まれる。そして近くに住んでいるなら、その子がまたうちに来ることも。今現在親子2代で来ている生徒がいます。20年以上前に教えた“子”のお子さんが今ここにいるのです。

 つい二、三年前までは、私の同級生のお子さんが来るということが結構あったのですが、これからは親子2代というというケースも増えてくるのかもしれません。それは大きな喜び。

 

さが桜マラソン2016 完走記 -その1-

 通算4回目のフルマラソン、これまで年1回しか出場していなかったのが、今年は約1か月間隔をあけての2回目のフル。2月の北九州マラソン以来の「さが桜マラソン2016」でした。

 昨年10月に申し込みがあり、わずか2時間ほどで締め切られた大会です。その名前に「桜」と冠しているだけあって、それでもフルマラソン化されて以来初めての「桜」が咲いている時期と重なった大会でした。

 本当に桜満開の中を走る素晴らしい大会でした。

 ただ個人的なことを言うと、北九州マラソンで今年の目標サブ5を達成して以来気が抜けてしまい、あまり練習していない状況。更に追い討ちをかけるかのように、マラソン数日前に発熱する有様。一応回復したものの完全体には遠く、なんとか完走できたらと思い、出場を決めました。あっ、完走メダルが欲しかったんですが、この大会無いんですね。直前に知り、少しがっかり。
 
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 Dブロックスタートでした。このブロックのすぐ後ろはまだ交通規制がありませんでした。入場締切5分前くらいの状況ですが、レース前の緊張感は感じられず、ゆったりとした時間が流れています。今回はDブロックの後方からスタート予定。
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 9時号砲。ゆっくりと前に進みます。
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 やっとスタートラインを越えられます。ここまで約5分30秒かかりました。大会ゲスト・有森裕子氏、テンション上げ上げ、奇声をあげています。
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 北九州マラソンでは途中のコース上で2度迎えられましたが、今回は一度もお会いしませんでした。たぶんゆっくり走りすぎたせいでしょうね。他の方の報告によると吉野ヶ里でハイタッチできたらしいですけど。


 スタート地点で人工の桜の花びらが白い煙と共に吹き出す仕掛け。桜吹雪です。これには感動しました。走りながら舞い落ちる花びらを手にとって、そっと仕舞い込みました。いい演出でした。


 沿道では中学生たちの生演奏が場を盛り上げます。
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 佐賀県庁あたりのサクラも満開
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 応援感謝です。
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 佐賀城前。お城自体は残っていないんですね。城内もサクラが満開のよう。
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 このあたり堀沿いのサクラも満開。でも曇天で、走りながらの撮影ではブレが生じてうまく撮れていませんでした。
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 スタート地点方向へ折り返す途上で。
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 「ダイエットは明日から」。この手のシャツは何人か見ました。名前の部分だけ変えられる市販品なんでしょうね。
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 「もぅ マヂ無理 リタイアしよ」。
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 もう5時間のペースランナー(ペースセッター)に追いつかれました(笑)。まだ10キロしか走っていません。実はもっと前に追いつかれていたのですが、抜き返しており、ここで再び追いつかれたのです。このあと私が彼女らに追いつくことはありませんでした。
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 ほんとにあちこちで桜が満開
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 この後、市街地を離れて農道を走ります。



さが桜マラソン2016 完走記 -その2- へ続く


さが桜マラソン2016 完走記 -その2-

さが桜マラソン2016 完走記 -その1- はこちら。



 農道を進みます。実はこの頃から晴れはしませんが、空が明るくなり、暑くなってきました。これからもやがかかったような写真が増えますが、私が塗っていた日焼け止めクリームがレンズに付いたためです。


 14キロ地点あたり、さすが佐賀!バルーン(気球)です。スタート地点にもありましたが、ここでよく見えました。
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 ランナーではありません。沿道で応援している方です。ドラゴンボールのフリーザ。カメラを向けるとポーズを取ってくださいました。こういう凝った楽しみ方もあるのだなと再認識。
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 そういえばこのずっと手前だったでしょうか。ライオンキングの仮装ランナーがいらっしゃいましたが、沿道で応援する子どもたちを見るや自ら近づいてゆき喜ばせる。男の子たちに嬉しそうな顔。つくつづくそのサービス精神に感心しました。貴重ですね。


 お名前は忘れましたが、会社の従業員さんたちだと思います。私設エイド。私もゼリーをいただきました。つるんと入って美味しい。周りでも同様の声がありました。ありがとうございます。
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 空が明るくなり、とにかく暑いんですよね。確か雨になるはずだったのでは? かけ水のサービスが何カ所もありました。
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 拡大してみると。
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 エイドはすべて立ち寄ります。そのたびに、スポーツドリンクか水を必ず補給します。


 ここでもサクラが満開
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 日焼け止めで曇ってるぅ。ここは20キロ手前の桜並木。満開
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 ここで応援してくださっていた「にわか倶楽部」?の方々たち。仮装です。仮装の方々は基本的にぼかしをかけてません。
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 20キロ地点で、対向車線を我が熊本の仮装ランナー「いちごマン」を発見。「からっしー」のときとは違い、速い速い。この少し後ろを4時間のペースランナーが走っていました。私がいるところから6キロほど先を走っておられることになります。
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 中間点を2時間36分台で通過。もしかして今までで一番遅いかも?

 吉野ヶ里歴史公園に間もなく入ります。花と緑の眩しいきれいな公園でした。
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 23.5キロ地点。こ、ここのエイド、最高でした。神埼そうめん。
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 マラソン時のそうめんがこんなに美味いとは! 麺つゆでそうめんがするりと腹の中に。しかもこのつゆが、暑さで疲弊した身体にしみ渡る! 2杯いただきました。そうめん最高!
 続いては、ぜんざい。白玉団子が一個、紙コップの中の小豆の池に鎮座していらっしゃる。この甘さがまたまた身体にしみ渡る! ここでも2杯いただきました。
 そうめんもぜんざいも本当はもっと食べたかったけど、まだ後ろにランナーがいるし、遠慮しました。無くなると悲しいもんね。
 そしてイチゴ(さがほのか)でお口サッパリ。


 吉野ヶ里遺跡を出て、先を急ぎます。ここからしばらくは対面通行の区間。


 26-27キロ地点から、20キロ地点手前(桜並木)をちょうど通過する収容バスが見えました。そのなかにS660が関係者車両として使われているのを発見。
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 今回初めてバスを利用するかもしれないと思っていましたが、ここまで来ると、余力と残る距離を考えて、特に問題が起きなければ完走できると確信しました


 ここもサクラが満開
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 32.9キロ地点。まるぼうろの4分の1切れ。
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 給食も食べます。このマラソン中、バナナは通算何本食べたでしょうか。一本まるごと食べたエイドもありました。3本分ほど食べたかも。梅干しや塩飴も適宜いただきます。


 ここでもサクラが満開
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 ついに35キロ地点を過ぎ、多布施川河畔のサクラ並木に到達。この並木道を走り始めるころから、少しずつ小雨が降り出してきたのでした。
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 36.9キロ地点。小城羊かん登場。
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 花見いいなあ。
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 あと4キロの表示。
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 佐賀新聞主催の私設エイドと思われますが、再びぜんざいにありつけました。これがまたしみるぅ。
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 サクラが満開。キ・レ・イ。ゆっくり走る人、歩く人。もう走っても歩いてもあんまり変わんない。
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 派手な仮装の応援する方々。本当にありがとうございます。ここでは仕方なく元気なふりして走ります(笑)。 
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 素敵な笑顔でしたし、どこの方か分かりそうですので、ぼかしをかけます。
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 スパルタ兵。この人たち本当は速いです。まだ力が余っている感じ。それにしても精巧にできています。
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 40.5キロ地点。もうひとつ楽しみにしていたものがついに登場。チョコアイス(ブラックモンブラン)です。
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 マラソン専用サイズでしょうか?
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 フィニッシュの競技場に入る手前の両手に桜。満開。もう小雨ですね。さすがにランナーは走っていますね。
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 競技場に入って急に視界が開け、目の前にトラックが見えるというのは、競走の最後になかなかよい演出だと思います。競技場に入るところで42キロの表示がありましたので、トラックはちょうど200mほど走ることになるようです。ここでカメラを取りだしてフィニッシュゲートをくぐるまでの写真を撮りたい気もしましたが、人目をはばかり躊躇してしまいました。よって競技中の写真はここまで。

 フィニッシュタイムはこれまでのワーストタイム。5時間40分弱でした。あの体調でよくもまあ完走して、しかも5時間台で走ったのですから、良しとしましょう。そこそこ体調が悪くても5時間台では走れるという妙な自信が持てました。マメができていた指もあり、辛い部分もなかったわけではありませんが、全体としては楽しんだという感じです。

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 最後に再び仮装ランナー。シャア様がご自分の記録を確認しておられる貴重な写真。
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 コース上でも確かお見かけしましたが、その時はザクの被り物はなかったはず。どこから出てきたのでしょう。


 あっ、やはり完走タオルではなく、完走メダルが欲しいっす。タオルは何回も使えばダメになりますので。



さが桜マラソン2016 完走記 -その3(妻の目線)- へ続く

さが桜マラソン2016 完走記 -その3(妻の目線)-

さが桜マラソン2016 完走記 -その1-
さが桜マラソン2016 完走記 -その2-

 今回も沿道で応援してくれたのは妻でした。見知った人がまったくいない中、ありがたい存在です。自分が関心もないマラソンにだれが何時間も付き合うでしょうか。夫が出ているという理由だけでです。

 ひと月前の北九州マラソンでは、夫である私は記録更新しか頭の中になかったため、妻からの電話やメールにもあまり反応しませんでした。コース上でやっと妻に発見された時も、そこそこの会話のみで立ち止まりもせずに先を急いでしまいました。まあ、妻は私の気持ちを理解してくれていましたが、妻にとっては非常に空しかったようで、なんのためにわざわざ遠方まで来てマラソンに付き合ってるのだろうとあとで言われました。もちろん妻の応援する姿を見ただけで元気づけられているのは言うまでもありません、ハイ。

 今回は最初から記録は眼中になく、妻からの電話やメールにはコース脇へ避けてできるだけ反応し、沿道で妻と会った時はしっかり立ち止まって話をしました。まず、スタート地点からわずか数キロ先の沿道、折り返して戻ってきた反対側の沿道で会いました。そして吉野ヶ里歴史公園にも向かってくれたようですが、途中渋滞にはまってしまい、結局そこでは会えず仕舞い。妻は交通規制をかいくぐり、三十数キロ地点へ先回りし、そこで再会。
 妻は、私が通り過ぎたら、さっさと撤収。誰がわざわざこんな応援をするでしょうか?はい、夫のためです。ほかの人の応援にはまったく関心がない、と言い切ります。

 そんな妻ですが何枚か写真を撮影していましたので、その記録からアップします。そのほとんどが仮装ランナーでした。

 まずは赤鬼。 
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 完走記-その2-で私も遭遇したあのスパルタ兵二人組。それに月光仮面?
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 熊本が誇る仮装ランナー「いちごマン」も写していました。
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 う~ん???
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 人力車か何かを引いておられるのでしょうか。カニも。
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 ダイコン。私も何度かお見かけしたのですが、沿道から「ダイコン頑張れ!」と声をかけられていましたね。でも、この仮装、勘違いでなければ、お一人だけではなかったように思います。
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 夫です。
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 1万人のランナーの皆さま、お疲れ様でした。応援の皆さま、そして支えてくださったボランティアの皆さま、本当にありがとうございました。おかげで今回も楽しむことができました。
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2016野焼き支援ボランティア(3) - 今季最後?

 野焼き支援ボランティアに行ってきました。今日は波野駅の裏トラスト地。ここの野焼きに参加するのは三回目です。

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 杉林の向こう側は野焼きが終わっていますね。綺麗に焼けてます。林の手前、車が止めてあるところに10時集合。サクラがかろうじて残っていました。昨日までの雨で草が乾くのをしばらく待ってから、この場所まで徒歩で登ってきたわけです。すでにリンドウやキスミレの花が咲いていました。

 私は久しぶりに火消し棒係。なお、今日のジェットシューターの水には、環境に害のない石鹸成分が1パーセント溶かしてあり、普通の水と消火の具合が違うかどうか試すことに。見た感じ消えやすいように思いましたけど。

 この場所、以前は動噴の助けを借りる必要があるほど激しく燃える印象があったのですが、今回は輪地切りが広く十分になされていて、延焼の恐れもなく、1時間ほどであっという間に作業は終了。私といえば、ほとんど火を見守って立っていただけでした。

 終了後、菓子パンとペットボトルのお茶、温泉券をいただきました。あまりに早く終わったので、物足りない人は今日の午後2時半から行われる野焼きに参加できる旨が伝えられました。夕方からの仕事がなかったら、私も参加していたでしょう。



 今季の私の野焼き支援は終わりました。今季は平日に行われることが少なく、行われたとしても私の都合が合わなかったのもあり、三回「しか」参加できませんでした。

 終了後、友人でもある某牧野組合長さんところに立ち寄り、阿蘇高菜漬をおすそ分けしていただきました。ありがとうございました。


タケノコでタイを釣る?


 ご飯の盛り付け方が悪いですが、絶賛するくらい美味しかったタイカレー。

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 タケノコ、この時期出始めているのを知っているので、旬のものを食べたいと思うのですが、なかなか買いません。なぜならしばらく待っていると、友人や知人、近所の人からもらうこともあるためです。特に当てがあるわけではないのにじっと買わずに我慢というわけです。そのことを妻と話題にしていたら、まさにその日、生徒の保護者の方から4本いただきました。何というタイミング。ありがとうございます。


 そしてそのうちの1本を友人にあげたところ、エビ入りタイカレーになって戻ってきました。


 「タケノコでタイを釣る」? (ちと違うか?)というわけです。

 あまりに美味しいので、2日に分けていただきました。友人は作り方を教えるからというのですが、実はうちの妻がタイカレーなるものを好きではないので、食卓に出てくる可能性はかなり低いのです。妻が作る通常のカレーはいろんな人が絶賛する絶品なのですが、タイカレーなるものはダメ。
 いただいたタイカレー、もちろん友人は妻が好きでないのを知っており、それゆえ一人分だけくれました。私はそれを2日に分けて食べるほど愛おしかったのです。

 あっ、食卓に出ないなら、私が覚えればいいだけのことですね! 自己満足の男の料理のメニューに加えましょう。でも誰が食べてくれるのでしょう。

アメリカ人旅行者脱出作戦 - 熊本地震より

 この人たちは外国人。実は我が家に4月14-16日の間に泊まっていました。4月14-16日? そう、「熊本地震」の真っ只中

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 彼らは夫婦で、アメリカのサンディエゴ在住

 健常者ではなく、アメリカ手話を母語とするろう者(聴覚障害者)

 実は私たちのまったく知らない人たちでしたが、本州に住む友人からの依頼で、日本を旅行している彼らを泊めて欲しいとのことで快諾したのでした。我が家に二泊三日。そのあとは福岡市内の、私も知っている手話関係者のお宅に泊まるようです。JRを自由に利用できる外国人向けのパスを持っていました。ちなみに妻(名前を仮にメアリーとしておきます)の祖母はメキシコ移民の日本人。

 私たち夫婦は「日本手話」を操ります。公の手話通訳者としての資格は持ってはいませんが、少なくとも同等以上の手話レベルを習得しているだろうと自負しています。余談ですが、仕事中の夫婦の会話は日本手話。内容は生徒の様子だったり、内緒話だったり、非常に便利なのです。生徒たちはその様子を興味深く見ています。

 さて、この夫(名前を仮にジョーとしておきます)は日本手話がかなりできるので、会話に不自由はしませんでした。外国人の顔をしているのに、英語ではなく日本手話で不自由なく会話で来ているという不思議な光景が見られたのです。貴重な経験でした。





 彼らが我が家で過ごす一泊目の晩、午後9時過ぎ、そう、それは突然起こりました。

 熊本地震です。かつては本震と呼ばれ、今では前震とよばれているそれです。


 実は我が家には、120cm水槽が2台、リビングに置いてあります。
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 この熊本地震の最初の大揺れで、満杯に入っていたその水があふれ出してしまい、リビングは大洪水になってしまったのです。重い水槽が地震の揺れで移動しているのが分かるでしょうか。これにより、洪水の後始末や地震で散乱したものの後片づけなどを彼らに手伝ってもらうことになりました。

 その後も大きな余震が繰り返し起き、彼らも私たちも十分眠ることができませんでした。熊本で過ごすその晩に未曽有の大地震が起きるなんて。印象がとても悪くなるでしょう。

 





 翌日近所の被害の様子を見て回ると、ブロック塀の倒壊が見られました。
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 ジョーとメアリーは、前日まで堂々たる姿を見せていた熊本城が壊れている様子をニュースで見て、非常に驚いていました。彼らは一日目に熊本城観光を楽しんでいたのです。

 この大地震のせいで、新幹線は脱線し、全面運休。在来線も点検のため全面運休。しかし在来線だけは、明朝からは通常運行に戻るということだったので、それを利用して福岡まで移動できればいいと考えていました。




 そして二泊目の未明、それは突然起きました。

 熊本地震の「本震」です

 あとの発表でこれこそ「本震」だとされた大地震です。最初はズドンと突き上げる衝撃がし、その後は激しい横揺れ。動けない妻を物陰に引っ張りこみます。マジで家が倒壊するかもしれないと思いました。停電が発生し、辺りは真っ暗闇になりました。私たちが休んでいた部屋は本や書類、置物などが散乱し、足の踏み場もない状況と化してしまいました。真っ暗闇の中で、行く手を阻む転倒した家具。部屋をすぐに出ることさえできません。物をかき分け、やっとのことで部屋のドアまでたどり着くと、彼らも血相を変えて部屋から出てきました。断続的に強弱をつけて続く揺れ。懐中電灯の明かりを頼りに、まずは彼らを安全だと言われるトイレに押しこめました。次から次に襲う地震波。これは外に出た方が良いと判断し、弱まったすきを見て、彼らを我が家の広い駐車場に連れ出しました。我ながらかなり冷静でした。

 真夜中なのに、外には近所の方々も次々と出てきていました。急いで避難する人々も。外に出てからも地震は何度もやってきます。やがて電気が戻ってきました。

 停電から回復したのち、強い余震に警戒しながら家の中に戻ってみると、この有様。  
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 亀山モデルとして名をはせていたテレビは死んでいました。

 短い間隔で繰り返し襲ってくる余震。時には本震より少し弱いだけの余震もやってきます。これは家の中で過ごすのは危ないと考えました。
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 真夜中なのにどんどん赤みを増す夜空。火事なのか街の灯りなのかよく分かりません。

 結局はジョーとその妻メアリー、私たちの家族は2台の車の中で一夜を過ごすことになりました。私はコペンの中で初めて寝ます。

 たまたま旅行で熊本に来て、一度ならぬ二度も激震に見舞われ、恐怖におびえ、車中泊をすることになるとは、彼らもきっと予想だにしなかったことでしょう。もちろん私たちも、いえ、だれも予想できなかったに違いありません。

 この晩、近所の方々も、駐車場のそれぞれの車の中で、眠れぬ夜を過ごしました。こんな経験は生涯で初めてです。

 たびたび来る余震で、車の中も結構揺れます。興奮して眠れぬ夜。激しい余震が来るたびによみがえる恐怖。


 この状況では、翌日動く予定だった在来線さえ動かなくなるでしょう。どうやって福岡に移動させるか。これ以上客人に震災の苦しみを味わわせてはいけないと思い、夜中の3時過ぎに福岡県のとある市に住む義弟にメールを送りました、「起きてる?」と。そこもひどい揺れだったと聞いていたからです。弟は確かに起きていました。最初のひどい地震のすぐ後に、自分にできることがあれば飛んで行くよ、と何度も連絡してきていた弟が起きていました! 電話をすぐに掛け、こちらの事情と私たちが考えた作戦を話すと、彼は快く受け入れてくれました。今こそキミの力がまさに必要な時なのです。





 翌朝、教室を見ると、本棚の棚が崩れ、中の本が飛び出していました。前日の強い揺れのときは持ち堪えたのに、です。
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 電気は来ているのですが、断水が発生しました。そんな時役立ったのがコレ。私が数年前に自力で掘って作った打ち抜き井戸。
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 地震後に濁りがひどくなり、砂もたくさん上がってくるようになりましたが、トイレを流すのに問題ありません。


 ほとんど眠れていないはずなのに、震災後の後片付けを手伝ってくれるメアリー。私たちはいつでも逃げられる服装をしています。
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 台所が使えないので、教室で朝食を食べます。ホットプレートで調理。ウインナーや目玉焼き、前日やっと買えたナンを焼いて食べます。
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 教室の電波時計を見ると、なんとそれは止まっていました。しかもよく見ると、未明の1時25分。そう、それは本震がちょうど発生した時間。原爆投下時に止まったままの時計を思い出しました。
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 なぜ止まったか? 時計が少し浮いていますが、あの大きな揺れで乾電池の1個が外れてしまったためでした。

 彼らには今日の計画を説明します。このひどい熊本の地から、福岡へ脱出する方法を。

 お昼頃、待ちに待った弟が我が家にやってきました。彼はあの未明の電話のあと、24時間営業の店に行って、パンと飲料水をできるだけ多く買ったようです。すでに弟の住む都市でもパンや水がどんどん減っている状況だったようです。

 彼は自己犠牲の精神で、これから必要となるであろう物資をわざわざ運んでくれたのです。しかも通常は1時間半ほどで行ける道のりを、病気の彼は渋滞の中3時間半もかけて。私たちにとっての最初の救援隊でした。

 そして彼は休む間もなく戻っていきます今度はアメリカ人を二人乗せて。彼のもう一つの任務は、このアメリカ人たちを福岡に送り届ける中継をすること。弟は福岡県の自分の住む市までアメリカ人を乗せていきます。そこに福岡市内のホストファミリーが迎えに行くのです。


 別れ際にジョー、メアリーと記念撮影をします。私たちは強くハグし合いました
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 とても重要な任務を果たした救援隊隊長と。
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 この弟の無私の働きで、この二重の目的を持つミッションは成功しました

 余震に震える熊本を離れ、ジョーとメアリーが良い思い出を作って欲しいと思います。あとで熊本と聞いて、うわぁぁぁ、あんな恐ろしい所、と思うなよと念を押しましたけど。非常に礼儀をわきまえた、あれほどの逆境でも決して不平不満を言わない立派なろう者でした。稀有の存在です。