ニュースは「読むもの」である

 最近、ある新聞販売店主の方と話す機会がありました。

 その方によると、最近の先生は新聞を読まない、と。


 大学を卒業して初めて教師になる人は、どこでもそうでしょうが、大概田舎の地に赴任します。

昔はそんな先生が十人いたら十人とも新聞をとってくれたそうです。

しかし、最近は十人のうち新聞をとってくれるのは一人か二人だけだそうです。

どうやら新聞を読む習慣がないらしい。

私たちの世代では、教師は世間の情報収集のため新聞を読むものとばかり思っていましたので、とても驚きました。

テレビやネット社会がどんなに発展しても、新聞の行間からしか得られない情報があるはずと思うのですが。




 その話を聞いた後だったのもあり、とある新聞の投稿欄が目にとまりました。

その投稿にはこんな見出しがついていました。

 「新聞休刊日の朝は味気ない」。

 投稿者は教職にあるようですが、「毎朝新聞に目を通す時間を生みだすのは、忙しいだけに大変だ」、「(新聞のいろいろなページに目を通すのが)テレビ欄と3面記事が専門であった私としては、大きな進歩といえるのではないか」と書いておられます。

 そして最後に、「新聞投稿がメーンの表現活動」をしている関係で、「今では、休刊日の朝くらい味気ないものはない」と結んでおられました。

私も同意します。



 さて、さきの新聞販売店主は力を込めて言います。

ニュースは「読むもの」である。

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