アメリカ人旅行者脱出作戦 - 熊本地震より

 この人たちは外国人。実は我が家に4月14-16日の間に泊まっていました。4月14-16日? そう、「熊本地震」の真っ只中

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 彼らは夫婦で、アメリカのサンディエゴ在住

 健常者ではなく、アメリカ手話を母語とするろう者(聴覚障害者)

 実は私たちのまったく知らない人たちでしたが、本州に住む友人からの依頼で、日本を旅行している彼らを泊めて欲しいとのことで快諾したのでした。我が家に二泊三日。そのあとは福岡市内の、私も知っている手話関係者のお宅に泊まるようです。JRを自由に利用できる外国人向けのパスを持っていました。ちなみに妻(名前を仮にメアリーとしておきます)の祖母はメキシコ移民の日本人。

 私たち夫婦は「日本手話」を操ります。公の手話通訳者としての資格は持ってはいませんが、少なくとも同等以上の手話レベルを習得しているだろうと自負しています。余談ですが、仕事中の夫婦の会話は日本手話。内容は生徒の様子だったり、内緒話だったり、非常に便利なのです。生徒たちはその様子を興味深く見ています。

 さて、この夫(名前を仮にジョーとしておきます)は日本手話がかなりできるので、会話に不自由はしませんでした。外国人の顔をしているのに、英語ではなく日本手話で不自由なく会話で来ているという不思議な光景が見られたのです。貴重な経験でした。





 彼らが我が家で過ごす一泊目の晩、午後9時過ぎ、そう、それは突然起こりました。

 熊本地震です。かつては本震と呼ばれ、今では前震とよばれているそれです。


 実は我が家には、120cm水槽が2台、リビングに置いてあります。
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 この熊本地震の最初の大揺れで、満杯に入っていたその水があふれ出してしまい、リビングは大洪水になってしまったのです。重い水槽が地震の揺れで移動しているのが分かるでしょうか。これにより、洪水の後始末や地震で散乱したものの後片づけなどを彼らに手伝ってもらうことになりました。

 その後も大きな余震が繰り返し起き、彼らも私たちも十分眠ることができませんでした。熊本で過ごすその晩に未曽有の大地震が起きるなんて。印象がとても悪くなるでしょう。

 





 翌日近所の被害の様子を見て回ると、ブロック塀の倒壊が見られました。
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 ジョーとメアリーは、前日まで堂々たる姿を見せていた熊本城が壊れている様子をニュースで見て、非常に驚いていました。彼らは一日目に熊本城観光を楽しんでいたのです。

 この大地震のせいで、新幹線は脱線し、全面運休。在来線も点検のため全面運休。しかし在来線だけは、明朝からは通常運行に戻るということだったので、それを利用して福岡まで移動できればいいと考えていました。




 そして二泊目の未明、それは突然起きました。

 熊本地震の「本震」です

 あとの発表でこれこそ「本震」だとされた大地震です。最初はズドンと突き上げる衝撃がし、その後は激しい横揺れ。動けない妻を物陰に引っ張りこみます。マジで家が倒壊するかもしれないと思いました。停電が発生し、辺りは真っ暗闇になりました。私たちが休んでいた部屋は本や書類、置物などが散乱し、足の踏み場もない状況と化してしまいました。真っ暗闇の中で、行く手を阻む転倒した家具。部屋をすぐに出ることさえできません。物をかき分け、やっとのことで部屋のドアまでたどり着くと、彼らも血相を変えて部屋から出てきました。断続的に強弱をつけて続く揺れ。懐中電灯の明かりを頼りに、まずは彼らを安全だと言われるトイレに押しこめました。次から次に襲う地震波。これは外に出た方が良いと判断し、弱まったすきを見て、彼らを我が家の広い駐車場に連れ出しました。我ながらかなり冷静でした。

 真夜中なのに、外には近所の方々も次々と出てきていました。急いで避難する人々も。外に出てからも地震は何度もやってきます。やがて電気が戻ってきました。

 停電から回復したのち、強い余震に警戒しながら家の中に戻ってみると、この有様。  
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 亀山モデルとして名をはせていたテレビは死んでいました。

 短い間隔で繰り返し襲ってくる余震。時には本震より少し弱いだけの余震もやってきます。これは家の中で過ごすのは危ないと考えました。
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 真夜中なのにどんどん赤みを増す夜空。火事なのか街の灯りなのかよく分かりません。

 結局はジョーとその妻メアリー、私たちの家族は2台の車の中で一夜を過ごすことになりました。私はコペンの中で初めて寝ます。

 たまたま旅行で熊本に来て、一度ならぬ二度も激震に見舞われ、恐怖におびえ、車中泊をすることになるとは、彼らもきっと予想だにしなかったことでしょう。もちろん私たちも、いえ、だれも予想できなかったに違いありません。

 この晩、近所の方々も、駐車場のそれぞれの車の中で、眠れぬ夜を過ごしました。こんな経験は生涯で初めてです。

 たびたび来る余震で、車の中も結構揺れます。興奮して眠れぬ夜。激しい余震が来るたびによみがえる恐怖。


 この状況では、翌日動く予定だった在来線さえ動かなくなるでしょう。どうやって福岡に移動させるか。これ以上客人に震災の苦しみを味わわせてはいけないと思い、夜中の3時過ぎに福岡県のとある市に住む義弟にメールを送りました、「起きてる?」と。そこもひどい揺れだったと聞いていたからです。弟は確かに起きていました。最初のひどい地震のすぐ後に、自分にできることがあれば飛んで行くよ、と何度も連絡してきていた弟が起きていました! 電話をすぐに掛け、こちらの事情と私たちが考えた作戦を話すと、彼は快く受け入れてくれました。今こそキミの力がまさに必要な時なのです。





 翌朝、教室を見ると、本棚の棚が崩れ、中の本が飛び出していました。前日の強い揺れのときは持ち堪えたのに、です。
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 電気は来ているのですが、断水が発生しました。そんな時役立ったのがコレ。私が数年前に自力で掘って作った打ち抜き井戸。
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 地震後に濁りがひどくなり、砂もたくさん上がってくるようになりましたが、トイレを流すのに問題ありません。


 ほとんど眠れていないはずなのに、震災後の後片付けを手伝ってくれるメアリー。私たちはいつでも逃げられる服装をしています。
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 台所が使えないので、教室で朝食を食べます。ホットプレートで調理。ウインナーや目玉焼き、前日やっと買えたナンを焼いて食べます。
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 教室の電波時計を見ると、なんとそれは止まっていました。しかもよく見ると、未明の1時25分。そう、それは本震がちょうど発生した時間。原爆投下時に止まったままの時計を思い出しました。
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 なぜ止まったか? 時計が少し浮いていますが、あの大きな揺れで乾電池の1個が外れてしまったためでした。

 彼らには今日の計画を説明します。このひどい熊本の地から、福岡へ脱出する方法を。

 お昼頃、待ちに待った弟が我が家にやってきました。彼はあの未明の電話のあと、24時間営業の店に行って、パンと飲料水をできるだけ多く買ったようです。すでに弟の住む都市でもパンや水がどんどん減っている状況だったようです。

 彼は自己犠牲の精神で、これから必要となるであろう物資をわざわざ運んでくれたのです。しかも通常は1時間半ほどで行ける道のりを、病気の彼は渋滞の中3時間半もかけて。私たちにとっての最初の救援隊でした。

 そして彼は休む間もなく戻っていきます今度はアメリカ人を二人乗せて。彼のもう一つの任務は、このアメリカ人たちを福岡に送り届ける中継をすること。弟は福岡県の自分の住む市までアメリカ人を乗せていきます。そこに福岡市内のホストファミリーが迎えに行くのです。


 別れ際にジョー、メアリーと記念撮影をします。私たちは強くハグし合いました
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 とても重要な任務を果たした救援隊隊長と。
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 この弟の無私の働きで、この二重の目的を持つミッションは成功しました

 余震に震える熊本を離れ、ジョーとメアリーが良い思い出を作って欲しいと思います。あとで熊本と聞いて、うわぁぁぁ、あんな恐ろしい所、と思うなよと念を押しましたけど。非常に礼儀をわきまえた、あれほどの逆境でも決して不平不満を言わない立派なろう者でした。稀有の存在です。


コメント

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ともに頑張りましょうね

大変でしたね!

台所の状況と大洪水のリビングは、復旧も
大変だった事とお察しいたします。
外国のご夫婦もすごい体験をなさいましたね

我が家も水とガスは停止状態ですが、亡父の
残した井戸がトイレ用、キッチン用限定で
大いに活躍しています
野焼き用ヘルは妻にかぶせてます(笑)

お互いまだまだ頑張りましょうね!

Re: ともに頑張りましょうね

ともあきさん、

お互いたいへんでしたね。
いまでも夜に大きめの余震が来ると、恐怖を覚えます。
3回目の本震がないことが願いです。
野焼き以外のヘルメットの活用方法いいですね。
うちも枕元に置いて寝ましょうかね。