熊本城マラソン2015 激闘記 -その2ー

《家族が撮っていた写真から。仮装ばかりでした。でも今年は仮装ランナーが少なく、しかもおとなしくなっていたような。規定が厳しくなったからでしょうか。仮装を没収された方もいたらしいです》
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 数日前のランナー受付の記事で、こう書きました。

「目標タイムは設定するも、実は具合が悪いところがあって、途中でひどくなったら完走さえも危ぶまれるかも。」

 体の具合が悪いところ、それは股関節周辺の筋肉の不具合です。昨年も悩まされたところなのですが、今年は月間200キロを達成したあたり、シューズで迷ったあたりから、違和感を感じ始めたのです。それ以降、整骨院に通って、治療・調整をしていました。

 その箇所が、スタート直後の直線、まだ1キロも走っていないのに、痛み始めたのです。それでも体が温まればどうにかなるだろうという考えがありました。

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 スタート直後の団子状態の中を、最初の1キロは7分で、その後の3キロまではキロ6分10秒ほどで走りました。

 違和感を感じながらもキロ6分台前半を維持していた中、それは突然訪れました。スタートしてからまだ5キロほどしか走っていません。いきなり右股関節周辺の臀部に、これまでのランニングで経験したことのない激痛が走りました。筋肉がつったとかそういう痛みではありません。このとき、抱えていた爆弾がさく裂したと思いました。

 思わず痛みで足が止まりました。今回の戦略として、体力温存のため登り坂はすべて歩く、と決めていました。でもそれ以外で早くも歩くことになったのです。そして、泣きたくなりました。痛みで泣きたくなったわけではありません。何カ月も前から練習してきて、そのスタート地点に立てたというのに、しかもまだたったの5キロほどしか走っていないのに、この有様。残り35キロ以上、走りきることができるわけがない。無念のリタイア、途中棄権の悪夢が現実になっていく様子を想像して、ほんと悲しくなりました。家族に電話をし、現状と途中棄権をしなければならないかもしれない旨を説明。電話口の家族の声の調子から、その落胆の様子が感じ取れます。

 それでも家族が待ち受けている地点までは行こうと思い、痛む箇所を押さえてゆっくり走ったり、時々は歩いたりしながら、なんとか進みます。



 何とか家族のいるところまでは歩いたり走ったりして到達しました。
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 この後、かかりつけの整骨院のスタッフが、12,3キロ地点で、患者さんと出走スタッフをサポートしていると聞いていたので、何とかなるかもしれないと思い、そこを目標に進むことにしました。ゆっくりながらも必死に走り、必死でスタッフの顔を探します。そして田んぼの中のコース沿道で、ついにその顔を発見しました。

 事情を話すと、N先生は、まずお手製のスペシャル栄養ドリンクを飲むよう勧めてくださいました。そして歩道上に簡易マットを敷き始めます。おお、衆人環視の中、田んぼの中の歩道上で施術か。私をそこに寝かせストレッチ。そして周りに人がいるのに、お尻のところのタイツを下げて、痛む箇所にロキソニン軟膏をたっぷりとすり込んでくださいました。

 その間も傍らを多くのランナーが通過していきます。そしてその中に見たくなかった光景が。

 風船が、5時間のペースセッターの上に浮かぶ風船が、無情にも私の横を通過していく・・・。バイバイ・・・。

 体が壊れているのに、思いの中では、まだこのレースの目標を諦めてはいなかったんでしょうね。
 

 しばらくしたら薬が効き始める、20キロ過ぎでまた待っているとの言葉を受け、私は送り出されました。

 するとロキソニン、効くんですね。その後キロ6分30秒前後で走れているんです。中間地点を2時間30分強で通過しました。あとで調べて分かったんですが、これは昨年の記録より数分速かった。

 そして22キロ地点あたりで、再びN先生と再会しました。今度は立ったままで、再び薬を塗ってもらいました。ランナーが通過する中、歩道上で、お尻のところのタイツを少し下げて薬を塗ってもらいます。先生曰く“ほかの人から見たら、変なことをしているように見えるかもしれませんねえ”。

 応急処置の甲斐あって、なんとか25キロまで走ることができました。しかし、そのあとはもう走ると一歩ごとに強い痛みが出るようになりました。もうこれ以上走ることができないと思いました。残り17,8キロ、どうするか。


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