2012野焼き支援ボランティア - 初陣 -

 4月7日(土)、今年初めてで最後の野焼きボランティアに参加してきました。

 場所は阿蘇五岳の高岳北東に位置する「日の尾牧野」。安全上作業中の写真撮影は禁止されているので、炎が上がっている写真はありません。
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 午前9時、現地の指定された場所に集合。各班10名ほど、全部で5班に分かれたボランティアさんたち、それに牧野組合員の方々が多数集まっておられました。諸注意と挨拶の後、班毎に分かれて現場に向かいます。

 火消し棒を持つ人、消火用の水の入ったジェットシューターを背負う人が各班におり、私は初参加ですので火消し棒を持ってトラックの荷台に乗り込みました。トラックは荷台に柵のついたもの。たぶん家畜の移動に使用されているものだろうと思われるのですが、とてもきれいでした。

 いつもは立ち入りができない門を開けて牧野に入っていきます。
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 山の斜面に車一台が通れるほどの舗装道が走っており、阿蘇最高峰の高岳がどんどん迫ってきます。荷台から眺める周囲の景色は、感嘆の声が上がるほどの絶景でした。これはボランティアをしているからこそ眺められるものであり、本当に得した気分でした。ただし車を降りるまでは・・・。


 トラックの荷台から降りると、私たちの班は徒歩で移動です。どこを? はい、山の斜面をです。尾根伝いの道を登ってきたわけですから、今度は一旦谷へ下り、小さな尾根にまた登る。そこで終わりかというとまた谷へ下り、最終的には荷台を降りた所がはるか下に見える尾根まで登りました。これが苦しかったのなんの。心臓はバクバクするわ、足が攣りそうになるわ、今日最大の試練が野焼きをする前に登場したわけです。身軽ならまだしも、消火用の水2Lと自分用の飲料水1L、ほかに弁当などを背負い、手には火消し棒を持って、足を滑らせたら下まで転げ落ちそうな道なき斜面を登って行くのです。だから私たちの班には年配者がいなかったのか。

 移動した2つ先の尾根では帽子が飛ばされるほどの風が吹いていました。これまでの山登りでとても熱くなった体は短時間で冷えていきます。セーターを中に着て来てよかった。

 風を背に受けながら、私たちのいる尾根から火を点けていきます。火を点けるのは地元の組合員の方。私たちボランティアは火消しと見張り役です。谷から点けるとすぐに大火になってしまうため、上の方の尾根から点けるのです。火は風下に向かって少しずつ広がります。火点け役の人は斜面を下りながら草に点火していきます。その動きに合わせて、私たちボランティアは等間隔をとって斜面を下りながら、小さな残り火を消していくのです。
 今苦労して登ってきた斜面を今度は下ることになり、ちょっと悔しい思いをしながらも作業を開始します。下に見える荷台を降りた所では、他のボランティアさんたちが座っています。あの人たちのグループだったらさぞ楽だったろうと考えながら、斜面を少しずつ下っていきます。時々足が滑って服が汚れながらも、危険はさほど感じず、作業を楽しむ感じです。ボランティアの中でも経験を積んだ方が、初心者の私に、今は先に行って良いですよ、とか、そこにとどまった方が良いですよ、とか親切に教えてくださるので、安心です。
 そうこうするうちに、トラックの荷台を降りた所からも火を放ちました。これを迎え火というらしいです。最終的に二つの火は出会い、斜面を真っ黒にするのです。作業の途中でジェットシューターの水がなくなり、私が持ってきた水2Lや他の人の水を補給しました。

 二つ目の谷、つまり荷台を降りた所から下った最初の谷の部分で、迎え火を放ちながら下ってきた先頭集団と合流しました。その班の他のボランティアさんたちは遠巻きに私たちを見守っています。ちょうどそこには、輪地切り(防火帯作り)の際に、草を刈ってない(もしくは刈れなかった)ところが一部ありました。ですので枯草が一部残っていました。そこに火が入ると危険なため、手前で火を食い止める必要があります。しかし、そのとき野焼きの火は結構近くまで迫ってきていました。ジェットシューターの水を求める厳しい大声が飛び、緊迫感が高まります。身の危険を感じた私は、初心者でもあるし、恥ずかしながら真っ先にその場を逃げ出しました。逃げ場は上にしかないように思えましたので、日当たりのあまり良くない陰の場所でしかも傾斜がきつい斜面を登ろうとしますが、土が軟らかく足が滑って思うように登れません。もし自分がいる場所に残っている草にまで火が足を伸ばして来たらどうしようと思いながら必死で登ろうともがきますが、それまで体力を結構使っており、俊敏な行動をとれませんでした。結局ベテラン勢の働きで大事には至りませんでしたが、野焼きデビュー一日目にして肝を冷やす場面に遭遇してしまいました。

 作業が終わり、集合場所に戻るトラックの荷台の上で、一緒に働いたベテランの方々にたった今行なった作業の強度をお尋ねしました。答えは、“十段階中、五いや六くらいでしょうか”、と。“あれで五か六?”と私は内心思いました。私は八いや九くらいの答えを期待していたからです。“最高なのは中松地区ですよ、ここを経験するとほかは大したことはありません。○○さん(私の名前)今度ご一緒にどうですか?”。

 
 
≪今日作業した場所。黒い部分が野焼き跡。向かってちょうど右の尾根あたりから右側を、私たちの班は野焼きしました≫
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 まだ11時半くらい。次の現場に向かいます。先ほど作業した場所より標高が下の方で、草のない幅5mほどの尾根の上での火消しと見張りです。見張り?飛び火の見張りです。尾根の片側はけっこうな急斜面、野焼きをする部分ですが、もう片側は枯草がぼうぼうの状態で、火が入ってはいけない部分。組合員の方が燃えてはいけない枯草に放水して、飛び火しないように濡らしておられます。軽トラックの荷台に積んだ大型水タンクから、エンジンポンプが唸りを上げて水を送り出しています。数百メートル先では、先ほどの野焼きの火が徐々に斜面を下りてきて、こちらに近づいてきています。

 この時も野焼きをする側の尾根部分から火を入れました。あらかじめ尾根近くの草を少し燃やして、火の粉が飛びにくくするのです。下の谷の方から入れると大火になります。

 作業開始後しばらくして、それまでよりも風が強くなり、数百メートル先だった野焼きの火が火力を増し一気に近づいてきました。そして短時間のうちに野焼きをしてもよい側の谷を、まばらに生えている木々もろとも炎が嘗め尽くしてしまいました。その一気に燃える炎の凄まじく大きなこと。もくもくと上がる煙が太陽を減光させます。圧倒的な迫力のある、この美しいとも思える一大スペクタクルに、ボランティアの面々も圧倒されポカーンという状態で見入っていました。かく言う私もそう。

 その最中、“飛び火ぃー!!”と大声が上がりました。振り返ると、私のすぐ近く、ものの数メートル先の、燃えてはいけない(水を撒いたはずの)草地で小さな火の手が上がっていました。野焼きの火からは離れているのにいつの間に?
 発見したのは、私を中松地区での作業に誘った先のベテランボランティアさん。地元の方が血相を変えて、その火が出た所の近くに飛び込み、放水。強風もあり水をかけてもまだ小さな炎が残っていたのですが、何とか鎮火。“発見があと2,3秒遅れていたらもう消火できなかっただろう。(飛び火に)気づいてくれなかったらほんと危なかった。”とはその地元の方の弁。いやあ肝を冷やしました。

 その場では特に何も忙しく動くような作業をしませんでした。そう、ボランティアの仕事は見張りなのです。組合員の方々が“今日はすかっとするほどよお燃えたなぁ”というようなことを言っておられました。





 そして私が飛び火というものを初めて経験したのとまさに同じ頃、別の作業地では、飛び火によって本当に痛ましい事故が起こってしまいました。私はその現場にいたわけではありませんが、私が初参加した野焼きと同じ日にこのような事故が起こり、亡くなった方およびそのご家族の皆様にはかける言葉もありません。本当に危険と隣り合わせの作業だと感じました。

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(2012/4/8熊日新聞より)

 この作業が終わり、昼食かと思いきや、もう一つ作業が待っていました。集合場所から歩いて行ける所で、一気にやってしまうつもりのようです。今度は比較的平坦な狭い場所の野焼きで、隣りに別荘地があるので、そこに飛び火しないように見張ったり、火消し棒で野焼きの火を消したりするという任務です。強い風の中でしたが無事に終わりました。

 終了は13時40分。今回は一気に終わらせてしまったため、昼食をとる時間が大きくずれこんだようです。最後の点呼とミーティングののち解散。そのミーティングの中で、別の場所でやけどをした方がいらっしゃるという旨のことが伝えられました。それがまさか今日起きていたとは、帰宅してからニュースで初めて知りました。


 本当に悲しい痛ましい事故です。しかし、これをきっかけに草原支援の輪がしぼまないことを切に望みます

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