看取り

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 今はまだ喪失感を感じます...

 5年来、数度入退院を繰り返していた親父がついに死にました。“そのとき”がかなり近づいているというのは分かっていましたので、難聴でもありもうしゃべれなくなっていた父に筆談で“親父、いままでありがとう。とても楽しかった”などとメッセージを伝えて備えをしていました。

 しかし、“そのとき”は突然来ました。その日お昼頃見舞ったときはそれまでになく容態が安定していましたので、家族のだれもがその日に何かあるとは全く予想していませんでした。

 その日私は、夕方からの仕事が休みだったので、独りでスクーターに乗ってこの日二度目の見舞いに行きました。ナースセンターの真横の病室に着いた私は、父の様子を見ると、呼吸数は多かったものの目を開けていたので、いつものように筆談で意思の疎通を図ろうとしました。しかし、父の目は私の書いた文字を追いません。そのとき初めて、目は開けているものの意識がないというのに気が付きました。そしてナースセンターに置いてある心電図のモニターの値に目をやると、それは150近くを示しており、時折何度か150を越えて警報が鳴っています。そのたびに看護師はモニターを怪訝そうに触っています。異常を感じた私は、それはおかしくないですかと看護師に声をかけました。すると看護師の動きも慌ただしくなりました。

 心拍数150超で走っていると疲れてやがて速度が遅くなって足が止まるように、父に目をやると、呼吸が少しずつ弱くなっていきました。父のそのときが来ていると悟りました。そしてついに呼吸が止まり、数秒間をおいて息を“ポッ”と吐いたかと思うと、それっきり口がかすかにしか動かなくなりました。それでも心電図には小さな波が映し出されています。駆け付けた医師は心室細動だと説明してくれました。しかしそれも間もなく平坦になり、さらにもう一度波形が現れてまた再び平坦になりました。家族の中で私だけがたまたま看取り終えた瞬間でした。神様がせめて息子としての私にだけは看取らせてくださったかな。

 このブログで時折出てきた花見や温泉旅館でのご馳走の話、例えば今年9月の伊勢海老料理の話などはすべて、毎回これが最後かもしれないと思いながら、父を喜ばせるために連れて行った際の記事です。その、父が食べたいと言ったために連れて行った9月のイセエビが、本当に最後になってしまいました。

 喪失感が癒えるまではもうしばらくかかるかもしれません。しかし、火葬まで終わり、家族はみな、やるべきことはすべてやってあげた、悔いはない、との共通の気持ちを持っています。

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